ロビタ、稼働。

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屋根裏部屋在住7年目。

去年ついに熱中症に軽くなってこれはムリだと感じ、その前年に日本で死にかける熱中症をやった私は冷房購入を決意し振込まで完了したのに、メーカーの手違いで品切れになってキャンセルされ、提示された代替品がショボすぎたので蹴ったらそうこうするうちに生き延びられる程度におさまってしまって結局買わないで終わってしまった冷房。

ついに買いました。買いましたよ…。

ついに買っちゃったか…という気持ちと、いやないとあかんかったものを買っただけやでという冷静な内なる声と。

今年は世界的にも異常気象ですね。プラハも5月までは涼しかったですが、6月からいきなり夏日がどかんとやってきて、わりとコンスタントに30℃を超えるようで…。買う年としては完璧だったかもしれませんね…。。心置きなく活用します。

毎年、なぜか「順当かつ大きな恵み」が届く6月6日。

朝からWHR職業人会ハングをしてて、頼んだ冷房が途中で届き、40kgもある本体を配達の兄ちゃんが運ん…ではくれず、仕方ない、根性だけはあるので体を痛めないようにしながらなんとか40kgを一人で扱って階段をうまいこと登ってエレベーターで六回まで上がってまた階段を降りて、ぜぇ…はぁ…き、きました…!五年越しぐらいの念願の!冷房さんがっ…!!

巨大なダン箱を開けたら、なんか…かわいい…!!一目で気に入ってしまいました。ロビタに似てるから、ロビタと名付けました。うちの子…ロビタ…。

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※最近使い出した加工アプリで遊びすぎた結果(激しすぎるモザイク2)

メーカー名が「アイルトン」なのも、なんか可愛いんだよねぇ…。

買ったのは、置き型の冷房です。一応暖房にもなるらしい。

日本やアジア圏では当たり前の、壁に工事してつけるタイプのエアコンは、こっちではまず一般家庭には存在しません。(だいたい北海道と同じ感じで気温が推移しますのでそれで分かる方はそれで想像してください。。)

冬はセントラルヒーティングが完備されてますし、その方が暖かいです。夏はね、暑い日もあっても結局あーしんどいー冷房買わないとーって思ったところでギュン!てまた下がる、みたいなのがほとんどだった…んですよ。でも、私がこっちに来てから、毎年だんだん耐えられない日が増えてるので、まぁ…もうね…。ていう感じでした。。

また、同じ石造りの建物でも、二階より下に住んでいると夏でも十分快適に過ごせるのですが(特に日陰の物件は寒いぐらいです…)、そっから上だと日当たり次第では屋根裏より暑いぐらいになります。我が家は…。北向きですが、屋根裏です。ふふっ…泣

さて、来たその日は涼しかったので、翌日本体に施すべき作業を全て終わらせてから、しんどい夏日を待つこと、たったの3日。はい、きました。今日です!あついしんどいれいぼうつけるぞーおー!!

といっても、排熱の為の穴なんてもちろんこの家には空いてない。開けなくても、いい。窓から出せばいい。

…というわけで(安心してください仕様です)、うちも設置場所にさんざん悩んだ挙句、結局排熱用パイプというかでっけえ蛇腹を入れるアタッチメントの都合でここしかなく、玄関横にある、建物の内側の吹き抜けに繋がっている窓を開けて、えいや!!と無理やり配置することに。

こうだ!!!ババーーーーン

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がしょーん。(ロビタ感)

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すごいだろう…?あまりにも熱い風が出続けるので風圧ですぐ蛇腹取れちゃうから、ガムテでグルッグルにするしかないんだぜぇ…

ま、無事に。。設置。。

問題はリビングと寝室に無事に冷風が届くのか否か?だったのですが、丸一日使ってみた結果、大丈夫でした!

暑くなってきた時の、サーキュレーターがわりの扇風機の角度とか本体の温度設定とかはちょこまか調整せねばですが、モルちゃんのいる寝室と仕事をしたり料理をするリビングの両方になんとか涼しい風がお届けされ、室温もちゃんと下がり。。!

むしろ直風にならない分、体にも優しい感じというか…。これはとてもいいのでは??

普通に涼しい、という状態をまさか、この家にいる間に手に入れられるなんてさ…。すばらしすぎる…。夢のまた夢だと…思ってたんだよ…。でも本当にヤバいと思って…ついにお迎えできて…う…うれぢい…。マジでうれぢぃ。。。初めて夏に人になれた…ありがとう…ありがとう……

ということでプロクリ練習がてら、図を描いてみた。排熱の問題を表現したかった一心で…。

自宅の間取り書いたの初めてだから楽しかった〜!

冷房図

そう、これね、何が言いたかったかっていうと

排熱まわりがめっっっっっちゃ暑くなる。

ということです。

……最初はリビングまたは寝室の窓になんとか排熱つけようかとか、そうするとどっちかに冷気が偏ってしまうし、こうなったら邪魔すぎるけど台所の換気扇のとこから出そうかとまで考えてたのですが、この暑さを考えると部屋にいたら誰も行かない玄関ホールゾーンに置くのが大正解だった、ということが分かりました。よかった…。どこに置くのが一番いいんだろうとこの3日地味に考え続けてたのですが、ベストソリューショォーンに自然と導かれていたのだ…ありがとう…(感謝が止まらない)

さて。

さて。

このれいぼうをつかってみてのかんそうだよ!(IQ2)

・なんかとても豊かな水が流れる音がする

何かが内部で起きている。水を捨てるとことかなくていいんだろうか。説明書ちゃんと読んだけどなにも書いてなかった。でも元気に稼働している。この音がすごく涼しげで、まるで渓谷にでもいるようなのだ…。湧き水が垂れ落ちて川になって流れていくような、実に風流な音がずっとしてるし、しかも涼しいので、本当に渓谷にいるようなのだ…なんということでしょう…。モーター音は確かに静かではないのですが、この水音のおかげで本当に全く、驚くほど、気にならない。すごい。偶然って最強。だって他の機種でも同じかどうか私、知らないもん。。

・すずしいです

すずしいです(IQ2)

いかん、語彙力が既にない。

・冷気は下に溜まる

知ってたけど、たまたま春の模様替えでパソコン机を座卓状態にしていたため、床に座ってる私大勝利。偶然こそが最強。

・冷気が下に溜まるからモルちゃんも最高率で涼しくできる

床置きケージなのですが(少しでも揺れるとビビる子なので)、よかったな!もるちゃん…!(感涙)

ちなみに冷房が来る前は扇風機ではもちろん追いつかずぐったりしてきてたので、やばい!!てことでこのようにしていました。

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巣箱の中が大好きですが、その中に自分の体温でさらに熱が溜まるため、まずここを冷やそう!!てことで、夏でも地下水のためギンギンの冷水が出る水道水を1Lビン2本に満タンにして載せ、その上に冷凍したアイスノン枕を載せて間接的に冷気を送り、タオルでカバー。

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さらに木の家の中に一番近い場所に温度計を置いて、モルの体感温度になるべく近い場所で計測。これを目安にして、温度が上がって来たら水と枕を変える。

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これですっかり元気になりました。おめめキラキラ。よかったなモルちゃん…!今日も五億点満点だよ!!!

というわけで最後はモルの写真だったよね!案の定ね!仕方ないよ…好きなんだもの……

モルを飼うことになったのは完全なる偶然によるものなんですが、他のペットとの違いって何なんだろ?て思ってたら、どうも、癒し度がすごいらしい。ヒーリング度がハンパないらしい。やっぱり……そうだったのか………わかる……………(語彙力が消える)

とにかく、去年あんなに猫飼いたかった理由が、今既に全くわからないんですよね。私の欲しいもの、モルが全部持ってるので…。むしろ私が猫に期待していたのはモルの要素だったのでは?と、今となっては普通に思う。友達んち行った時に猫さわるたびに「でかい!猫でかい!!!こんなデカかった!?」てずっと言ってるしな…。モルはな…ちょうどいいんじゃ…。柔らかくてモスモスで…小さきもの…ハァ…今夜も抱っこしよ…。マヂ無理…(かわいすぎて)

アホなこといってないでもう寝ますね。

とにかく、冷房…ありがとう…と思いながら体調のしんどい1日を安らいで過ごすことができました。

また何か面白いことがあったら書きますね。。

ほんではの〜〜👋

一日一ブログを完走した感想。

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モナリザかな???(クソデカボイス)

はい!

完走いたしました、お疲れ様でした〜!!!

毎日読んでくださってるような方はまずおられないかと思いますが、自分自身の誓いとして宣言したことはやり遂げたかったので、やりました。

この記事を投稿すれば「31」になります。

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さすがに、体調不良や多忙などもありますから、毎日コンスタントに一記事とはいきませんでしたが、ネタはあるんだ、時間がないだけ!!の証明のために、書き切りました。はい。

〜ここでモル休憩〜

………

眠くなっちまって…なんも思いつかねぇ…。まとめようと思ったんだが…な…。

毎日書くにあたってやっぱり「しっかりした話題は時間がかかる」ので、一度書いて寝かせる、という作業はやってました。

今日更新したいな〜と書き始めたけど、絡む要素が多すぎるのでどう整理するか迷い、じゃ今日は別のネタで更新しておいて明日明後日あたりまとまったらアップするか…という感じで。

なので、常に2〜3ネタある中でその日ある時間で書けるものでアップしていったり、もちろん寝かせたり練ったりしてる間に、これは書く必要がないなと判断して削除したり、この角度ではないな?と一度お蔵入りにしたり、みたいのもありました。

ブログネタのつもりでストックしておいたメモが、オラクルメッセージに変化したこともありました。

そういう「思考を形にする上で、プロセスの中で生まれるライブ感」みたいなものが、楽しくもあり、毎日同じように機械的に文章がかけないわたしゆえの「うーんんんん」という時間もありました。例えば、書きたいけれど体調が悪い時や、日中書いちゃおう!と思ったけど忙しい時は時間が取れなくてそういう時は昼でも夜でも無理で、3日ぐらい空いたこともありましたし…。が「この空いた分、絶対あとで埋めてやるからな……」と思っていました…。何だったのか…絶対走り抜いてやろうと決めておりました。。

やり遂げた今は、「と、とりあえずやり遂げた…!!」という思いでいっぱいです。…普通のことを書きました。

いや、本当、それ以外出てこない…。結構大変だったんだろうな…多分。(多分?)

でも、書きたくないのにひねり出したとか、そういう内容は一つもありません。

毎日受け取るインスピレーションから記事が書けてました。

そして毎日書く中で、もともとブログ出身のブログ芸人であることを思い出し、なんだかちょっと、ウキウキしてきたり。

自由に好きなだけ書けるブログって、やっぱいいな、面白いなと思ったり。

ネタが意外に尽きないのが、自分でも面白かったです。

「運命は果たして決まっているのか」

https://yukiko032.blog.fc2.com/blog-entry-641.html

という記事、書きましたが。なんかこれだけ補足したかった。

運命とは、自分の運命を発見しに行く旅である。という感じなんだなと思います。

起こってしまったことを何と呼ぶかが運命だ、という人もいます。だからやっぱり、振り返らないと運命は見えないのだと思います。

振り返るのは怖いことじゃありません。

きっと私にとって、書くということは、そういう作業なのです。

あと、途中で「あっ」と思ったのが、まやさんとS&Lレッスンしててふとまやさんが言った「ゆきこさんは、表現することが使命だから…」という一言があって。

実は、それがなんだか、今自分に必要な言葉だったらしい、んです。

なんか「あ、そうか。そうだった。そうだよな」って。

だから、毎日書くことに「なぜ」とは思いませんでした。

私は、表現することが、私のやるべき仕事の全てなのだ、と。

それはどんな形で、何であっても、いいのだと。

確信することができたんです。

なんか、毎日毎日書くことを通して、絵を描きたいモチベも増幅されましたし…。(笑)

いろいろと、刺激になったなぁ。

やってよかった。

毎日(の分)、書いてて単純に楽しかった。

書いても書いても、書きたいこと生まれる日々を過ごしてるのも面白かった。

今度からは丸1ヶ月じゃなくて、一週間連続更新とかにしよう。。それなら楽しんでできると思う。。!少なくとも、その月は7本の記事が更新できるということですからね。

リアルタイムで発信できてるのも久々に楽しかった!

どうしても、じっくり書こうとすると寝かせすぎてアップできなくなるし。

オラクルメッセージのように、貯めておこうと思っていたものをリアルタイムで出せると気づいたのは、私もすごく嬉しかった。少し反応もいただいて、楽しかったです。

今回1ヶ月書き続けて、自分がブログで何をしたいか、ブログで何ができるのか、ちょっと幅が広げられたような気がします。

まだちょっと延期にしたネタとかもちょこちょこあるので、また更新しますね…!

ではでは。

お付き合いいただき、ありがとうございました。

ご感想とかあったらコメントでもツイでもお気軽にお願いします!

ありがとございましたー!!

ゆきこ 20190531 23:44

ついしん

今日(6月4日)、書いたものをカテゴリ分け作業し始めたら、なぜか記事数が29に下がり…ましたが、手動で数えても29で合ってました。

……私らしい幕引きだなぁ。( ´ ∀ ` )

でっでもでも4月末から企画開始してるので、いっ一応足りてるんだからねっ!!!!🤾‍♀️

よもやま〜ズ(遊びと哲学と麻紐とモルケースとレディーファースト)

この「一日一ブログ」祭りもあと一つで終了なので、溜まってた小ネタをここで放出したいと思います

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・「人生は遊びか?」

若かりし頃に大人たちにしたり顔で言われたバカな発言集、てのが私の中にいくつかあるんですけど(察してください)、そのうちの一つが、これです。

人生なんて壮大な暇つぶしだよとか、しょせんゲームだから、とか、芸術なんて規模のデカい遊びじゃん?みたいな言い方がですね、なんだろうな…どう〜も、昔から嫌いで。

いや、人生なんだから楽しまなくちゃねってのは分かるし、シリアスに取りすぎない方がいいよって意味も、分かる。

でもやっぱりさ、リスクを取って、自分の責任で生きて、でも誰かの思いを踏みにじったりしたくない。そうやって毎日研ぎ澄ませて生きている自分にとって、「人生なんて、遊びだから」という言い方と、それを言った人間たちのなんというか、まぁ、あんたがたはそうなんじゃないかな…という感じとで、どうにもこうにも、しっくり来てなかったのです。

それを先日突然思い出しまして、で、なんでだか英語のレッスンの時にポロッと、そう言ったんですよ、Susan先生に。

そしたらSusanが「あぁ、私も嫌い。人生を勝ち負けで捉えるような感じがするから…」

って、これまたポロッと、言ったんですよね。

でなんか、あぁ、それもあったのか…!て感じました。私が若かりし頃に感じた違和感は、責任感のなさというか、賭けてるものの軽さが気持ち悪い…って感じだったのですけど、勝ち負けで考えてる感じがどっかにある、というのも否めない。勝ち負け…。私がこの世で最も嫌いなものの一つです。

勝ち負けって言われるとなんていうか、無条件にがっかりして、落ち込んでしまうんです。生きたいという気持ちが萎えてぺしょーんと消えてしまうのを感じます。あぁ、なんのやりがいもない世界だなと感じる。

人生は勝ち負けや競争じゃないんだよ…言い方は、とても正しいと感じるから、やる気が出るしモチベーションが湧いてくる。

だから私ってオラクルカードしか信用できないし、使えないんです…よね…。もう理屈じゃない。モチベーションが死ぬ道具なんて、絶対に使えないですもん…。ただでさえ生き死にに関しては相当繊細な感性してるのでね、ちょっとでも自分を萎えさせたらダメなんです。これは私が自分に負った一つの使命なのでしょうね…。

そんなことを思った話題でした。

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・「倫理と美学」

ツイッター眺めてたら作家さんのがふと流れてきて、その人の見てたら哲学書っていうよりその本が読みたくなって、アマゾンでしばらく探してました。哲学自体は「こねくり回してる」感じが嫌いであまり触っていませんが、高校時代の授業で一番好きだった教科の一つは「倫理」です。

話が脱線しますが小学校の時の「道徳」の授業のことを何一つ覚えていない(教科書の表紙に丸文字ゴシックで「どうとく」って書いてあった映像以外本当に何の記憶もない)ので、多分ろくでもなかったんだろうな、と思う大人であった。

で、最近ですね、アニマルスピリットを引いてるじゃないですか。そこで何度も出て来る言い回しの一つに「莫大な可能性」というものがあるんですが、これね、本当に不思議に思えるぐらい、何度も何度も、出て来るフレーズなんです。

オラクルカード10年毎日引いてるんですから、フレーズとしては耳慣れてますよ。でも、ふとこのカードと向き合ったとき、やはり「じゃあ、莫大な可能性とは実質、何だろう?」と、考えるともなしに考えていた昨今だったのです。

そしたら、ひょんなきっかけで再び手を出した哲学書の、どの翻訳を読もうか…とじっくりKindleのサンプルを読んでいたら、なんか、もうそれだけで「開いて」くるんですよね。思考が。思考の道筋というのか。つまり、私にとってのインスピレーション、なわけですが。

それで突然、「あ、これって私にとっての”莫大な可能性”の一つだなぁ」って、思ったんです。

要するに、自分が頭で考えてしまいがちなのなら、可能性は頭からひらけばいいじゃん、てことか…!と。頭が硬いなら頭から柔らかくしちゃえばいいじゃん、ていう。頭から可能性がどれほど莫大かを流し込んでしまえば相殺できるというか。(笑)そういう感じ。。でもこれって大事だなぁと感じてる。

今月あたりから突然、作家ってすごいんだ、と感じ始め、作家の発言に耳を傾けたり、哲学を読んだりするようになって、言葉のチャンネルが再度突然開いてきたような感じがあって。多分偶然じゃなく、自分がずっと求めていたひとつの出口だったことを感じる。本、ずっと、これだと思うのを読んでなかった気がして、そうすると絵への刺激も少なかった気がして…。美学の本を読みまくってた大学院以降とかは、ある意味、いい夢を見ることができてたと感じるけど、一旦この国に来て暮らすのに慣れるまで、その世界は全て捨て去らなくてはならなかった。それが今、戻ってこれるところまできたのだと思うし、戻さないとこの先もないなって感じがしているのであった。

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・「チェコ語の慣用句」

ニコラとの絵本が今年冬にこっちで発売されるのですけど、最初に送られてきた完成テキスト(チェコ語を英語にザクっと翻訳したもの)を読み始めて、めちゃめちゃ焦った。

というのは、英語的に存在していない言い回しがいくつかあることに気づいたのと、チェコ語から英語というのはけっこう機能しないものなので(日本語と英語の翻訳を思い浮かべてください、あのぐらいの誤差)、読みながら何度も何度も、これは何????て頭を抱えてしまって、全然進まず…。。もしかして私の知らないイディオムかもしれない、と辞書をいくつめくって調べたところで出てこない。または、それに近いものはあるが、やっぱり何か根本的に違う……みたいな箇所がいくつもあって。

これが分からないのは私の文化ギャップが大きすぎるからなのだろうか、私が脳内でこのテキストからビジュアルが浮かばないのは私の何かがあれこれ足りないのか…どうしよう…ニコラに迷惑なのではないか…あぁ…うぅ…とかなり悶え苦しんだ後、やっと「とにかく、分からん箇所をまとめて、直接聞こう」と決め、何がどう分からないのか、が分かるまでとにかく気力を振り絞って準備しました。

英語でレポートや卒論書かされてた時もそうなんですが、やっぱりいったん日本語に直して確認していかないと、途中で何書いてるか分からなくなってくるんですよね…。長文ならなおさら。同じこと何度も繰り返し言っちゃってたりすることもありますし…。

なので、こっちで原作がある仕事を受ける時は、必ず自家製和訳を作るんです。じゃないとねー…何がポイントかが見えてこない。。かといって日本語にこだわっちゃうとダメなのでもちろん、軸は英語なりチェコ語なりに置いた状態で、それをやります。はーややこしいね!!

とにかく、それを一週間かかってまとめ終えたので、どうしても解けない謎だった言い回しや表現にハイライトをつけたPDFを送り、それを見ながらビデオ通話で情報量を最大まで上げて、進めることにした。(声だけだと言語能力次第で理解度が下がるからダメなんだよ。余談ですが私がオラクルカードのセッションをビデオ通話に限定してるのもそれです。齟齬や行き違いが増えるからね…そんなの楽しくないからね…。)

んでいざ質問してみたら、

ニコラ「あぁ、これチェコ語特有の慣用句だわ。それが英語に直訳されてるから分からなかったのね、ごめん。。自分でチェックしてる時は、あぁ訳されてるわーって思って気づかなかった…こう言うもんだと思ってたから…」てナチュラルに言われたでござる。

………そうでござったか。

…………そうでござったか………😭

でも、苦しんだ甲斐があったでござる…。。

例えばね、「ポケットの中で何かが燃えている」っていう文章があったんです。

意味不明でしょ。

意味不明なんですよ。

めちゃめちゃ調べたんですよ私も。でも出てこなかった。。

そしたら、チェコ語ではわりとよくいう言い回しで「自分には荷が重すぎるものが懐にある」というような、そういうことなんですって。

英語で言うとheavy burdenでござるな、つったら、そうそれ!だって。

……そっかー😭

でも、めっちゃ面白いな…。文学的ですよね。ポケットの中で何かが燃えているですよ…?

何かこう、良心の呵責とかなのかな、て文脈見てて思っていたのですが、そうじゃなくて単純に「重荷」なんですって。でも、その重荷が、燃えるんですね…!面白いなー。。

おかげで、「これだけチェコ語特有の言い回しがナチュラルにある」ってことに気づいたそうで、次の翻訳から直すよ!て言ってくれて。ニコラ、ものすごい作業量こなしながら翻訳もしてくれてるのに…。ありがとう。。て言ったら「この本は、ユキコ以外とは共有も理解も不可能なのよ。それに私は作家だから、一場面ずつの要素は見えていても、それが全体としてどう見えてるのかは全然分からないの…、それをユキコはできるでしょ。だから、一緒にいてほしい!」て言ってくれて、ゆきこはまた泣いたのであった。

ありがてぇ…。ありがてぇなぁ…。

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・2018年の正月に日本で買ってあったスマホケースがさ。

ハリネズミ柄、なんだけどさ。

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もう今見ると、どう見たってモルちゃん柄にしか見えなくて、買った一年以上後に前のがボロボロになったから〜って付け替えて、外で改めて見て何度も驚愕してるんですよ。これ買った時にまさかモルに似てるなどとは思うはずも…なく…。完全に想定外でしたからねモルモットは…!

なおかつ、この絵、マジでモルちゃんにそっくりすぎて…。ハリネズミって、実物そっくりに描くと、正直あんまかわいくないんですよ。モルモットはかわいいんです!!(親の欲目)いやハリもめちゃめちゃかわいいんですけど(ハリは正直飼いたいと思ったことが何度かあった)、なんちゅうか、このコロンとしたまるい感じはモルなんですよね…。

外出して、はぁ、モルちゃん会いたい…元気かな…て思うたび、自分のスマホケースの柄が目に入って、びびる…。いまだに毎日びっくりしているのでした。

ちなみに、柄よく見て…。ハット被ってる子とかメガネかけてる子とか逆向きの子とかいるの…かわいい。。。

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・「編み物糸」

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今日も元気にスーパーで売ってる梱包用の麻紐で編み物作ってたんですが、これは茶色の梱包用の紐ですけど、白い糸の方ね、上品だしコットンやヘンプ100%だし、質が良いのでそれも愛用してて。でも、なんでスーパーに売ってるんだろ?て思ってたんですよ。

そしたら、先日別のお店で「おっこの白い糸も柔らかくていいな♪」と思って買った時、そこについてた写真を見て、やっと分かったんです。

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うん。

肉縛る用のタコ糸なんだね!!!!!

そう言われてみりゃぁ…その通りでしたばい…。

今日作ったのは、ジャパンから送ってもらった小さな座椅子と、それにクッションを括りつけるための丈夫で太めの飾り紐作りでした。かわいくて丈夫で助かった。。

今まで梱包用の麻紐一本でギュイッて縛り上げてたから、なんていうか…かわいそうだったし…心もとなかった…。。

こういう、ちょっとしたもん作れるの、なんかホッとするんですよね。

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・「レディーファーストと金のなさが重なると、どうなるか?」

英語の先生のSusanがある日、こないだまで滞在していた息子と一緒に、チェコ人の英語レッスンの生徒をカフェで待っていました。

Susanは言いました。「彼、いつも私に飲み物奢ってくれるのよ。自分は男ですから、ていって。見てなさい」

そしてその生徒が来ました。

彼は、自分以外の男性が同席しているのを見て、その日は飲み物を奢りませんでした。

息子さんはあとで死ぬほど笑ったそうです。

解説。

あのですね、チェコってすごく、古いんですよね。なんつうの。遅れてるんです。(笑)古き良き美しきものを実現しようとする風潮が、いまだにちゃんとあって、なんか「かわいいなぁ」って思う反面、「安っぽいんだよなぁ表面だけだから…」て思うことも多々ありましてね。(笑)

チェコ、基本的に金ないんですよ。物価も安いし給料も安い、まだユーロ入れてないですからねこの国。理由なんか簡単、物価上がるから。。というわけで、金がない。

そんなケチなチェコ人でも、レディーファーストは守らねばならない、男性が席にいたら女性におごるべきである、と。若者ですら、そんな固定観念をまだ持ってる子も多いんです。

それでSusanは、毎回生徒がおごってくれるのが、おっかしくて仕方ない。アメリカから来たSusanからすれば、何その慣習??て感じですからね…。笑

で、今日は息子がいるけど、まぁ私の分はおごるのでは?と思っていたそうなんですよ、そしたら、もう一人男がいたから、あ、今日はいいんだ、って。(笑)その程度なんです、この国の男性のレディーファースト。薄っぺらいんですよ。表面だけなの。。(笑)

でもその付け焼き刃の文化を、守ったほうがいんだろうな、と思ってやってる。

なんか、そういうとこがおかしみがあるというか、なんだろな。

おっかしいですね。(笑)

かわいいな、って思うこともあるんですけど、この国の男とは結婚できないなと私が悟った理由の一つです。(笑)

そんな面白い国で、私は今日も元気に私は暮らしています。

小ネタ集なのに長くなった!!!!!!

思い込みは、表現するためにある。

思い込みってよぉ〜〜悪者にされがちだけどよぉ〜〜〜思い込みのない世界なんてどれだけつまらないかっていうとよぉ〜〜〜って話なんですよ。

思い込みだって、適切な使い方ってものがあるのですよ。だって、文化的習慣だって、風土の慣習だって、全部思い込みなわけですよ。常識なんてどこにも存在しないんだもの、海外住めば毎日それを叩き込まれるんでいやでも分かるんですけど…(私です)

そして、思い込みこそが、人生を生きる上での最大の楽しさであり、最も重要なことなんですよ。

つまり、「個性」って、それなんだよね。というお話です。

思い込み、自分がただ普通に何の理由もなくそう思ってること、いや、普通にこうだろ?と思ってやってる何気ない一つずつが、たいへんに豊かで楽しくて興味深い世界を形作っている。

「こだわり」なんていうのも、要は思い込みなんだけど、それがなくなったらもう、世界なんて何が面白いのか。

要するに今人類は、「表現する」ということを、学ばなくてはならない。

そんなことまで思うのであった。

へんにスピッたりするとちょっとみなさん、こういうことが頭をかすめること、あるんじゃないですか。「信念」のブログの時にちょっと書いたようなことです。

つまり、「この考え方はダメ!書き換えなくちゃ!」みたいなやつ。

いや、それが嘘だとか間違ってるって言ってるんじゃないんです。ただ、それを適用すべきなのはあくまでも「自分が自分の主義としてそうだとは思ってないのに、成長過程や環境や時代のせいでそれを信じるべきだと思った結果、自分に負担をかけて辛い思いをさせていたもの」についてのみ、なのです。

しかして、数多ある「思い込み」の中で、果たしてどれがその辛いものであり、どれが「おもろいネタ」「個性」に繋がっているものなのか。これがわからないと、使い道だってわかりませんよね。

これをしっかり判別しないでなんでもかんでも「信念や思い込み=悪者!」みたいな風潮…があったんですよねーその昔…(アラフォー以降だけかもしれないので、違ったら読み飛ばしてください)。

じゃあ、どうやったらその判別がつくかっていう話はあまり、明確にされてないのかな、と思って、しばらく頭の片隅で考えてたんですよ。

そしたら自分の体験もあって、ある日どどっとまとまったので、書きます。

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きっかけは、去年の秋から通っている、フランス語の授業でした。

フランスという文化のせいだと思うのですが、毎回のように頻繁に自分の好き嫌い、良いと思う悪いと思うという意見を言わされる会話練習があるんです。これはABCDも読めない状態で一学期が始まった瞬間からそうで、好きなものは何かを初っ端から言わされましたし、いろいろな表現や文法を習う度に必ず「これは私はいいと思う/悪いと思う、なぜなら〜」という表現が、非常に頻繁なんですね。主観が大切なんです。主観があるからこそコミュニケーションって楽しいんだろう?と言わんばかり。フランスで自分の好みや意見や考えを言えない人間は、さぞかし馬鹿にされるだろうなぁ…という予感があります。(好みだ…)

会話練習でも、私のよい習慣悪い習慣は〜と発表しながら隣の席の子と練習したりなど、とにかく、常に意見や好みを言う場面が多い。

私は生来のお喋りなので、こういう表現を学べるのは有難いです。個人の好き嫌いからこそ、会話のきっかけになると思うし、誰が何を好きで何を嫌いでも、フラットに話し合うならばそれはいつでも面白いと思うのです。なので、基本的には大賛成、ですよ。

ところがですね。

私これ、カジュアルな会話練習としては、すごく苦手だったのです。。

初期の頃なんて語彙力がないからなおのこと何も言えなくて…。最初に思いつく表現の仕方が複雑なせいで、今知ってる簡単な文法や語彙の中からひねり出せない。さらに言うと、深い話題になるとはっきりと主義主張があるのですが、表面的なことや日常的な瑣末なことに関しては「どっちもいいと思うよ〜」て言っちゃう方なので、「いやもうどっちでもよくない…?」と心の中でマジレスしてしまうものの、それじゃ会話練習にならないから、とにかく軽率に好き嫌いとか、これはよくない!とか、言わなくちゃならない。しかし、出てこない。。考え込んでしまう…。心配した先生に「ユキコ、なんでもいいから、間違えたら直してあげるから、とにかく口に出してごらん」と授業後にそっと諭されるレベル。でもやっぱり、みんなみたいに簡単なライトな質問や答えが、どうしても出てこない。。とにかく、さっと口に出せないのです。適当な質問や適当な回答が、出ない。。

文法や語彙力が「最低限」に達した今は、ずっとラクに発言できるようにはなりましたが、それも最近の話です。

試行錯誤して、なんとかかんとかやりくりしてるうちに、感覚でつかんだ、あるコツがありました。

そしたらふと、ラクになったんです。

語彙力表現力がついてきたからというのも勿論あるのですが、そうではなく、会話をとにかく知ってる範囲の語彙力で弾ませるために必要な要素、その最大のものが、「思い込みをあえてそのまま、戯画化して表現する」だったのです。

至極フツウのことを、ちょっと冗談めかして、あえて言い切る。

例えば、「私はお肉を毎日食べる。これは良い習慣!」と言い放ったら、先生が思わず吹き出して「なぜそう思うの?」て聞くから、「なぜなら、私は肉を愛しているから!!」と言うと、爆笑が取れるわけですよ。私は嘘は言ってない(笑)愛している物を食べるのは、結局回り回って健康によい!と本当に思ってるので。でも、一般的には「健康にはちょっと悪いんじゃないかな‥?」と思われてるでしょ。そこのギャップを一言で言いあらわせれば、それでいいわけ。少なくとも、会話練習としては完全に成立する。

「実際の自分をデフォルメして出す」という手法に気づいたら、あー、「思い込み」でいいんだ!!と思ったのです。

私がこれを実行するには、「自分の思い込みを戯画化する」という感覚でやると、スッと出て来るんですよね。

でも授業のためだけじゃなく、誰か知らない人と交わす会話なんて、毎度こんなものです。その時引っ掛けたフックで「なんか面白いな、この人」ってお互いに思えれば、だんだん仲良くなるもの。仲良くなる人とはどんな方法で会っても、なぜかインスピレーションを感じるものですし…。

私なんかは絵描きでよかったと思うのは、絵のポストカードを見せた瞬間に、だいたい、分かってもらえるので…。べんりです。笑

これも、自分の中味を全部さらけ出せたな!と思う絵をあえて選ぶことで、いろいろ回り始めたので、やっぱり、そういうもんなんだなぁ…と感じるところです。

てわけでまとめると、

自己表現は「思い切って自分をデフォルメして、楽しめるか、なんじゃないか」

と気づいたんですよね。

思い込みでもいいから、ちゃんと「表現」した方が、いいのよ。その方が、世界は豊かになるのよ。

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ということでまとめてみました。こちらの表をご覧ください。

字は汚いんだけど、このほうが魂感じられるかなと思うのであえてこのままにしてみました。見れるかなー。

とりあえず、一通り読んでみてください。

バーフバリの掛け声は、アレです。あの…。アレです。勢い付けです。イェイ。

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原寸で!載るのだろうか!?すごいな!?(初めての試み)

思い込みはね、本来はとても素敵なものなんです。宝箱です。最高にオモロイもの、なのです。

だから「なんで書き換えんの?」ていうのがまず最初。

思い込みというのはですね、裏を返せば、その人がその人という環境で生まれ育ち、「これが当たり前だ」と思って暮らして来た、文化的、思想的、経済的背景の全ての結集なわけです。そしてもちろん、その人独自の感じ方や考え方の傾向が織り込まれている。これ自体が芸術品です。

つまり、あなたのあなたたる所以。

自分が自分として生まれ、存在してる意味の全てです。ライフパーパスと言ってもよいでしょう。

皆が皆、悟っちまったり文化が平坦になったり個性がなくなったりしたら、ダメなんです。それは量産された機械。人に生まれた以上、それはあり得ません。

個人のことでなくとも、例えばグローバル化の進んでいる現在ですが、いざ外国人として外国に住んでみると国民性や独自文化はそうそうなくなりそうにないので、私としてはある意味、ホッとしちゃいました。。歴史という過去の出来事や来歴、形成された性格や芸術、食べ物、常識……。土地という縛りはけっこう強いです!そのままでいて!!

というわけで、個性というのはなんであれ、基本的には本当に素敵なものなんです。

究極の話、同じ家で生まれた一卵性双生児だって、性格も見た目も変わるのと同じです。二人と同じ人はいない。同じことを体験したとしても、感じたことも覚えたことも忘れることも、まるで違う。それが人間です。

だからあなたも、あなたという「当然こうだと思ってること」「それが当たり前だと思ってるもの」を、発信してよいのです。

で、じゃあなぜ「思い込み」が悪者扱いされることもあるかといえば、当然ですが、物事には良い面と悪い面の両方が存在するからです。どちらかだけになることはない。

ということは、「どうやって思い込みを識別するか」と「必要ない思い込みは解釈を変えることで善の面を発見して生まれ変わらせること」と、「個性として表現すること」のどちらかを施す、ということになるんですね。

ここで私が思い込みを「捨てる」と言わなかったのは、捨てられるものなど何もないからです。

忘れる、捨てる。それこそがまやかしです。それ自体が存在していない。人は誰でも、過去にあったことがあったおかげで今がある。そのどれ一つ欠けても、今の喜びも光もなかった。未熟であった自分を許さなくてはなりません、なぜなら、すべては許されることになっているから。なのです。許されない個性など、存在しないから。地球が私たちの存在を保証しているのが今「生きている」理由です。ですから、できるのは、自分が悪だと思い込んでいたものに善の面も見出すことでバランスをとること、です。

じゃあ、それをどうやるか。っていう話ですが、なんでもかんでも「直接対決」しなくていいんです。

今把握できている「ネタになる思い込み」を楽しく表現していくだけで、それに引きずられて「悪でしかない」はずだったものにも、別の面が見えてきます。

…"Humor"などのカードも、本当はこういうことが言いたいのかもしれませんね!

表現というのは、なにも芸術的なことに限りません。普段何気なく口にする話題一つでも、ツイッターの呟きひとつでも、なんだってできます。自分が好きなことをしろ、というのはそういうことですね。好きな方法でやりましょう。楽しめることをしましょう。ペースはもちろん、あなたのペースで!

そして「ネタだから面白い」という認識で自らの思い込みをあえて晒して表現していくと、みんながみんなではないにせよ、琴線に触れた人から「おまえ、オモロイやつやな!」と反応が来て、転がっていきます。

自分の思い込みを表現する。例えばこんな感じ。

「個人的になんですけど、これってこうじゃないですか?」

「何言ってんだお前頭おかしいんか?おもろいな」

こうです。(こうです)

私なら、食いつく。。個人的な歪み(でも引くほどのじゃないやつ)って、この世で一番オモロイですからね…共有できない好みほど楽しい…。

ただし、当然「ネタ」なので、禁忌はあります。エログロは基本的に初対面はやめときなね。あと、自分や他者の尊厳や自由を貶めたり奪ったりするものは、全て表社会ではNGになることは承知すべきですよもちろん。

でも、逆に言えばそれだけです。それを客観視できていれば、それに絡む表現自体はOKですし、さらに言えばこれが芸術ジャンルにおける「表現の自由」です。当たり前のことが分かってないと、できないんですよ。映画や小説やマンガやゲームでそれらの表現が矢面に立たされることがありますが、完全なお門違い。

まぁそれはさておき、そんなわけで、君の「思い込み」を聞かせてほしい!我は、そう思っている!!!!マジです!!!

そして下段のオマケ的なものですが、

思い込みを、表現するか、押し付けるかは全く違う、ということ、そして

さらに「信念」は別のものだ、ということです。

どのようなネタであれ、押し付けはダメです。だいたいね、思い込みの怖いところはこの「押し付け合戦」になりがちなところ。これで悪者扱いされがちなんです。でも、思い込みというのはコミュニケーションの道具として冷静に楽しく表現し合うべきなのであって、これをまともに取りすぎたり、さらには押し付けるような形で表現するのだけはダメです。

中にはちゃんと適切な距離感で表現してるのにブチ切れてくる「にほんごのよめない人々」もいますが、それはまたさておきね。なにせ、あなたに非がないなら気にしなくてよいものなので。はい。

というわけで、どのような話題であれ「押し付け」はだけは駄目です。戦争になります。全員があなたに同意するわけがありません。あなたもまた、全ての人に同意する必要などありません。(これのどっちかが崩れると大体戦争になる)

支配されることも、支配することも、断固拒否してください。それは人間としての尊厳を剥奪する行為ですから。

ですが、「表現」であれば、まったく別です。面白いんです。「私はこれが好きで、こういう時こうしていて」という話は、キワモノであればあるほど「何それ??面白いな」てなります(私の場合)。冗談がわからない人にはニコニコ適当に相槌でも打って、話のわかる人とだけ楽しい会話をしましょう!というのは、話がわからない人に話続けるのも結果的には押し付け行為になってしまうのでね…。…………人間って、むずかしいね……(悲)

そんな感じで以上です。

信念は、もっと次元の違う話ということで、冒頭にある前記事で理解してください。

しくよろ!!!

以上です!!!!(なにげに半月以上練ってたこの記事…!!やっと書けたー😭)

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この記事で一番私が言いたかったのは「思い込みには二種類あること」を意識してくれたらいいな、ということです。

毎日、自分が何かを思ったり、感じたり、特にそれが辛い方向へ行ったとき。

「待てよ、これってどうなんだろ?」と、自分でチェックすることができれば、劇的に毎日は変わって来ると思います。

辛い思いは基本的には「しなくていい」と気づいてくれれば…。

自分に辛い思いをさせないことが、自分の命への責任だと、その重大さを感じてくれたらと。

私の一番の、願いです。

💫

死、生、養育。

今朝このツイートを見て、どうしようか迷ったのですが(覚悟がいる内容ですよね…)思わず朝から全部読んでしまい、案の定涙が止まらなかったですが、どんな形であれ「死と向き合う」という姿には、勇気付けられます。それを表現することも、すごいことだと思います。

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なんかまた大きくなってたモルパイセン。まだ成長期やけんね…!

今月の「一日一ブログ」の中でも確かちょっと書いたのですが、私がペットを飼うという恐ろしい仕事を決意したのは「結末を恐れずに生きるため」、でした。

細かいことはどこかに書いた気もするので(覚えてない)省きますが、自分が「今に集中」し、「今を100%楽しみ」、「今を安心して満ち足りて幸せで愛情を感じて生きる」ことをできるように、という条件において、私にとって必要だったのがペット、だったのです。人間じゃないとこがすごいでしょ。フラットシェアも同棲も、よほど「この人と住まねば!」と思わない限りは、私はしないでしょうね。

でも、動物は別…!動物なら…!必要っ………!😭

で、半年ほどのあれこれの後に、モルちゃんが来てくれた、というわけでした。

上のブログの中で「看病」について触れられていますが、その通りだな、と思います。

私が唯一体験したのは、母方のばあちゃんでした。ばあちゃんは4ヶ月の闘病生活の間、たくさんの人の訪問を受け、お別れを言う時間がありました。母は全てが終わったとき「母は私に看病をさせてくれた。病院嫌いだったじいちゃんは誰にも看病されたくなかったから一瞬で亡くなった。そう言う意味では、父は看病をさせてくれなかったんだなと思った」って母が言ってて、なんか、分かるな、と思いました。

ばあちゃんとの別れはものすごく辛くて、火葬が終わって焼き待ちの間に皆が寿司とか食ってる間、火葬場の裏で一人で30分ぐらい号泣してたのを覚えてます。「人がこの世からいなくなる」ということ、肉体と魂の関係をはっきり認識したのは、ばあちゃんが死んだ瞬間から私はずっとばあちゃんに話しかけ、コンタクトを取り続けたからです。気づいたら必要に応じてチャネリングできるようになってました…。(どんな副産物だ…)

その体験を通して、「看病」っていうのは一方向ではないことに気づけました。ばあちゃんの死は、私たちにいろいろなことを残していってくれました。

病を誰にも言わずにしまい込み、限界がきたその朝突然サッと死ぬのも、ちょっと常人にはできないすごいことだと思うんですが(祖父の生き方そのものでした)、祖母の死に方とそこに至るプロセスというのは、「お別れを言う時間をくれた」という側面がありました。それと、その間にあったあれこれで、いろいろと問題も残してはいかれましたが…。(笑)まぁそれも、まだこれから生きるこちらの学びとして残ったということです。

生きるのは迷惑をかけあうことだけど、それは迷惑じゃなくて、面倒を見るっていうのはなんらかの理由につき、生きとし生けるものの課題なんだと思う。

スピリットアニマルオラクルにも、カワウソのカードにそれが出てくるんですが、「あなたは一人ではない」というメッセージに書かれている「面倒を見ることで、面倒をみられていることも思い出すよ」というものを、私はモルちゃんを見るようになってから、前よりさらに感じるようになってきました。

面倒を見たり見られたりすることは大切なことで、良い悪いはないってことなんだな…と。

どんな人にでも、面倒を見てもらわねばならない部分があり、また面倒を見る能力も与えられている。そんなことなのかな、って。軽く考えてよかったし、それを以ってして私なんだ、というのが、友達同士であり、仲間同士なのかな、って。そしてプロセスにフォーカスし、プロセスを楽しみ、一つずつを喜ぶことなんだな、と。

生きるということが、実態と実質を持ち始めたような気がします。

ところでね、世界は私を生まれさせたということは、世界は私を養ってくれると保証したってことなんだ、と今日、ふと気づいたんです。

この地球にいる間は、私を養ってくれる力が、きちんと面倒を見てくれています。

その力は必ず何かの形を通して、私を導いてくれていて、私は常に、養われている。

今回すべき成長を終えたら、また次の形になるべく、天に帰る。

「この地球に養ってくれるものが存在する」ということを、私はこんなに長い間、意識できていなかったのだな、と思います。今日もスピリットアニマルのトンボのカードにそれを言われまして…、「ハッ!!!!」てなりました。。(今日翻訳し直して突然ハッッ!!!てなったのはこのカードでした。笑)

私は、生きている以上、地球なりスピリットなり大いなる力なりに、きちんと養育されているんですね…。

…モルちゃんいなかったら絶対気づいていなかったなぁー…。

不思議だけど、そう実感します。

一人で家にいる時には、こんな感覚は生まれたことがありませんでした。。

「ペットを飼ったら、ゆきこちゃんはもっと強くなるわ!」

モルちゃんのご実家、譲り主さんが、なぜかそう言ってたのですが、今になってますますそう感じてきています。

強いって、私が思ってたような形じゃ、決してなくて。

「私は守られている」「私は養われている」と気づく、ということは、私を確実に強くしてくれました。

安心という感覚をほとんど持ったことがないまま生きてきたからです。

そっかー…。

…不思議だなー。。ありがたい……

いくら最初に決意があったとはいえ、地球はこうして、やっぱりものすごい速度で、夢を実現してくれました。

すごいなー…。。。

仕事もそうなってきた。

今まではどこか、辛くて苦しいだけ、みたいな部分があった。

何か現実世界で目標を達成すれば死ねるのかなぁ、みたいな。でもそれもないし…ていう。

でも、あ、違うんだなと思ったの、多分ごく最近なのです。

一番最初のきっかけは、多分前にもブログに書いた、「自分が周りに愛されてることに生まれて初めて気づいた」というところ。

そして今は「私は、自分だけが誰かの面倒を見るべきなのではなく、誰かに面倒を見られてもよいのだ」という認識。

これは、今までありませんでした。つまりどこかで、自分は面倒を見る側、与える側になるべきであって、だから自分が面倒を見られていることが許せない、という感じだったんですよね…。どこかでずっと、そうで。傲慢ですけど、本当にそう感じていました。

そのせいで今までは幸せに気付きにくかったけど、今日の午後ふと突然、とあることに気づいたんです。この国に来て二人もの作者が、イラストレーションをゆきこに描いて欲しいと言って頼んでくれて、喜んで私の絵と一緒にプレゼンしに行ってくれたなんて、あっ実はすごいことなんだな…って。突然…気づいて…。いや、これって何なんだろうって今まで思ってたんですよ。職業イラストレーターではない私なのでどこにも所属してませんし、突発的な案件以外引き受けてないわけなんですけど。しかしこれって、なんて幸せ者なのか。

打ち合わせの過程一つずつも、助けてもらっていいというか、質問して話し合うことすべてが必要なプロセスだと分かってる。すごいことだと思う。

すごいな。すごいことだな…。私は、自分の役割を果たそう。と。

フラ語の帰りの空を見上げながら、改めて誓った日でした。

地球においての「別れる」は、恐らく、他の星でのそれとは比べ物にならない質量を伴っていて、だからこそ、重要なんだろうなと思うのです。後悔とか、自責とか、幸福な思い出とか、体感とか、第六感とか、全部が一緒になっているもの…。地球で命と関わることは、ものすごいことだと思います。莫大な情報量の体験になります。

作品もそうで、完成させるってことは終わらせるってことでしょ…と思ってる自分がいて。

近年だんだんどんどん、「終わらせる」ことが怖くなってきてるような気がするんです。笑

でも、作りたいストーリーがある。諦めてない物語がある。

こないだ別の作家の友達と話してたら、10年越しのネタに突然結末が降ってきて、一気に書けた、てこととかあるから、諦めないでだいじょぶだよ!来るよ!!て言われてめちゃめちゃ勇気出ました。。

私の内面の変化や成長と一緒に、そういうのも来ると思うんですよね…。一つずつって、絶対繋がってる。。

だから、これからもちゃんと諦めずに、ちゃんと継続して、

一つずつに集中して、さらに良いものを作っていこう、って。

思うのでありました。

「死」についてのブログのはずなのにね。

いや、表現とか創作って、生と死に直結してるんですよねぇ…。私だけ?

いやいや。。そんなことないでしょ。

オマケ。

滅多にならないアクティブモードになったモルちゃんの冒険…

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秘蔵のモルたまも…載せちゃったぞ☆ごめんなモル☆

んだば!!

英語オラクル生活。

趣味でオラクルカードを英語で読んでいるものです、こんにちは。

前エントリ参照。

これの続きというか、今の私の取り組みとか気づき、言語編。。!

ここの冒頭にも「翻訳を直してる」とありますが、そうなのです、今月あたりからは、自分で初期(2〜3月頃)に独力でやった訳を読んで「意味不明だなぁ…」と思ったやつを「きちんと意味の軸を保ったまま、もっともすらっと入ってくる日本語表現に訳していく」という段階に入ってます。二段階目の翻訳かな…いや、三段階目なのか。

翻訳って、何段階か訳すと思うんですけど、

最初は「意味を取る」(これは自分だけ分かってればいい)、

次が「直訳する」(英語表現の正確な把握と個人的な記録)、

最後が「意味を保ったまま、分かりづらい箇所を意訳する」(自然に吸収できるレベルの日本語表現にブラッシュアップする)

だと思うのです。

翻訳家さんがプロとしてやるのは三段階目だと思うんですよね。ここで好みとか仕上がり具合が決まっちゃうので、腕の見せ所なんですよね。もう、ほぼ作家といって過言ではありません。

それはさておき、翻訳のそれぞれの段階に何度かかかる部分もあるでしょうし、一発でパスすることもあるでしょうが、私の場合、2月から始めたこの作業において、2月に出たカードは完全に最初の「読んで理解するだけ」でした。次に、「直訳」を始めました。なので、初期の自家製翻訳は、「なんとなくこうかな」と「直訳」の組み合わせ。だから、自分で書いた日本語を見ても、何一つ大事なことが入ってこない。。しかしてものすごく分からない文章があった覚えもないので先生に質問することもなく3ヶ月そのまま放置してきて、たまに意味を見ては「なんだかなぁ…」ということで、時間を見つけてはたまに原文をもう一度見ながら訳し直していきますと、驚愕。そう。分からない人特有の「何が分からないのかを分かってない」という翻訳だったのですねぇ…。辞書の見方も分かってない、っていう感じが…すごい…。訳し直していったら、このカードの慈愛と的確さに満ちたメッセージがまたどんどん入ってきて、グハァッ!てなっています。ええ、しゅごぉい…。やっぱちゃんと訳すと違うぅ…。ほんのちょっとの語順の違いやsのあるなしとかで、形容詞と動詞が同じ形のやつは余裕で混同されてしまうし、意味も変わるし、ただでさえコレットの文章は「wordy」だそうなので、そのwordyさにぶん回されてしまう。。そうして出来たのが初期翻訳だったのですねぇ…。

どうりで訳した日本語読んだ時にさっぱり意味が入ってこんはずだよ…。そういう、一つ一つの小さなケアレスミスとか読み違いが、こんなに…大きいんだ…って今、やり直すたびに驚愕してますよ…。いやぁ…。自分で自分の3ヶ月前の翻訳見て赤面するとか…すごいよ…。

まぁでも、それは真面目に3ヶ月頑張ったからなのかな…と自分を慰める…。(笑)いや、別に凹んではいないんですけどね。。ただ、3ヶ月でこんなに変わるぅ…!?て思うとホントに…すごいや…と。

同じ翻訳内容でも、句読点を入れる箇所を変えただけで突然分かりやすくスッと入ってくるようになったりすると、こ、これかー!てなります。

それと、一番大切なのは、何度も読み直しながら考え直す、というプロセス自体、ですよね。カードと向き合うというプロセスの一つとして、英語という手段が今回たまたま浮上しただけです。

「ほんとにこんなこと言ってたっけ??」というのは、自分が公式の日本語訳を見た時に抱いた違和感でしたが、自分の翻訳に対しても「何じゃこりゃ???」て原文を読み直して「これかー!!」とか、これ分からんからSusan先生に次回聞こ!てなって「それかー!!!」てなったり。

このプロセス自体が、「オラクルカードと対等に向き合う」、というものだと思うのです。

これは日本語のカードをただ普通に使っていても、行っていることです。原文かどうかは関係ありません。

オラクルカードを使うというのは、注意深く、その「暗号」が自分の実際の生活や人生において、何を意味するのか、そして実際それを体験して自分がどうだったのか、ですから。

さて英語の話題に戻りますが、今の自分の力だと、最初から「意訳、または意訳に近い形にするか、あえて直訳にしておくほうがしっくりくるか」を選択しながら文章を作るぐらいの余裕があります。(すごい)(見てるか、3ヶ月前の俺よ)つまり、このカードのことをまったく知らない初見の人に自分の翻訳をいきなり読んでも、ちゃんとあのカードの良さ、醍醐味、核心部が伝わるように日本語として成立させる(ことを目指して作る)、ということです。

英語表現は、英語として完成していますから、これを日本語にしろと言われてもっ!!みたいなものがどうしても出て来ますが、それを言い表すものすごい適切な文章が実はこの角度からだった!!みたいなのが脳内で突然見つかった瞬間のアハ体験感がすごいです。いやー。すごいです。

ちなみにアハ体験は英語だとaha momentなんだって。これもスピリットアニマルに書いてあたよ…。すべてはこの本が教えてくれたよ…ありがとう…師匠………

というわけで相変わらず楽しく続けています。。

来月いっぱい、先生がアメリカに一時帰国しちゃうので、二人ともオラクルカードで英語の勉強というこのとんでもない時間をめちゃめちゃ愛しているため、まだ目の前にいるのに「Susan... I miss you...」って早漏かましてしまった。だって今から寂しいんだもん〜〜〜😭つらい😭一刻も早く帰ってきて。。笑

何か教える用事とかある時はFacebookの通話のやつで話しましょ!て言われてるので、半年前に一度やめたFBに戻ることにした…。…といいながらまだやってませんが…。笑

はぁ〜〜〜Susanありがと…!

ただ、これでほとんどのカード、出揃ってるんですよね、現状。まだ見ぬカードは1〜2枚ほど、正位置か逆位置のどちらかしか出てないカードもまだけっこうあるとは思うんですが、ずいぶん出た…んですよね…!!うわ〜お。

なので、この状態で1ヶ月レッスンお休みで過ごしてみて、どのぐらい質問が溜まるかな、お楽しみ、という感じです。

レッスンで聞かなくてもかなりのとこまで分かるようにもなってきてるし、やっぱり全然分からないやつもあるので、ふむ…!

6月の間に、今までに習ったノートでまとめきれてない&翻訳訂正しきれてないものが穴が埋まるといいなぁ、と思います。趣味半分仕事半分、まぁつまり私のいつもの仕事です。楽しくやっていきます◎

あと手法としてはやっぱり、iPadに正確な文字認識がされてるPDFを入れて長押しで調べていく方法が強すぎ&万能すぎで、これは本当に推します。いや…最強だわ…。これからもほとんどの英語やフラ語書類はこれで読めると思う…。英語やフラ語はメジャー言語だから強いよなぁ…!しみじみ…。日本語だって、iOSに入ってるってことは相当強いんですよ…。チェコ語なんて…インストールされる未来がくるか否か…多分…ないんじゃないかな…(涙)(マイナー言語国在住者の悲しみ)

はーーーフラ語のテスト終わったんだーーー!!

ブログも、これを入れてあと5個書くと31個書いたことになって、「1日一ブログ」達成できるんですよね。

さて、どうなりますか…。ネタはあります。(笑)

とりあえず、更新!!

PS そういえば初めて写真なしで投稿したら、なんかサムネにオッッッッシャレなコーヒー写真ついてない!?オシャレじゃない!?!?

No one can blame you.

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ひどい言葉でなじられましたか。あなたを理解しようとしない人がいましたか。あまつさえ、それをあなたのせいにされましたか。

あえてあなたにこう言います。気にしないでください。本当に、気にする理由がどこにもないからです。

人を責める人は、凶器を用いて自分を責めている、心の鈍い人です。凶器を使わなければ、その人は自分の心に刺激を与えられないのです。

あなたは、その人ですか?違うのではありませんか?あなたは、あなたなのではありませんか。

分厚い鉄でできた心と、ごく薄く、皮膜が破れると血を流す心を同じに扱うのは、おかしいとは思いませんか。また、そのようにする人の言葉など、聞くに値しません。あなたが聞かないと決めれば、すぐに退散します。

その言葉がそれほどに胸に刺さるのだとしたら、おそらく、あなたを本当に責めているのは、あなた自身なのでしょう。聞く理由のない言葉を聞いてしまう理由はただ一つ、あなたも、あなたをとても責めてしまっているから、なのでしょう。

自分を守れなかった自分を、愚かな決断をした、誤ったことをしたと思っている過去の自分を…

しかし、過去のことです。起きた出来事は、学ぶべきことを身につけたから、去りました。

あなたは、学び終えたのです。学び終えた課題を何度もほじくり返す必要はありません…、どうか、傷跡をこれ以上痛めつけることで、傷の完治を遅らせないようにしてください。それはもう塞がって、傷跡が見えなくなってもいいのです。証拠などなくても、あなたは同じ目には遭いません。

あなたは十分にやったのです。そして、それはもう、終わりました。あなたは立派に終えたのです。

どうか、あなたのすべての歩みを誇りに思ってください。

今ここにやってきた今の平穏を、恵みを、幸せを、胸いっぱいに吸い込んで、全身で味わって、こわばっている体のすべての力を抜いてください。

もう、大丈夫です。あなたを、許してください。