死、生、養育。
大好きな友達が何年もかけて描いた猫の闘病漫画すごく泣けるので貼っておきます
— かとう(2/11+α) (@cut00) 2019年5月11日
あと旦那さんの一言一言が優しくてすき
猫漫画だけどご夫婦の関係性も素敵だなとhttps://t.co/TujZSwz80U
今朝このツイートを見て、どうしようか迷ったのですが(覚悟がいる内容ですよね…)思わず朝から全部読んでしまい、案の定涙が止まらなかったですが、どんな形であれ「死と向き合う」という姿には、勇気付けられます。それを表現することも、すごいことだと思います。

なんかまた大きくなってたモルパイセン。まだ成長期やけんね…!
今月の「一日一ブログ」の中でも確かちょっと書いたのですが、私がペットを飼うという恐ろしい仕事を決意したのは「結末を恐れずに生きるため」、でした。
細かいことはどこかに書いた気もするので(覚えてない)省きますが、自分が「今に集中」し、「今を100%楽しみ」、「今を安心して満ち足りて幸せで愛情を感じて生きる」ことをできるように、という条件において、私にとって必要だったのがペット、だったのです。人間じゃないとこがすごいでしょ。フラットシェアも同棲も、よほど「この人と住まねば!」と思わない限りは、私はしないでしょうね。
でも、動物は別…!動物なら…!必要っ………!😭
で、半年ほどのあれこれの後に、モルちゃんが来てくれた、というわけでした。
上のブログの中で「看病」について触れられていますが、その通りだな、と思います。
私が唯一体験したのは、母方のばあちゃんでした。ばあちゃんは4ヶ月の闘病生活の間、たくさんの人の訪問を受け、お別れを言う時間がありました。母は全てが終わったとき「母は私に看病をさせてくれた。病院嫌いだったじいちゃんは誰にも看病されたくなかったから一瞬で亡くなった。そう言う意味では、父は看病をさせてくれなかったんだなと思った」って母が言ってて、なんか、分かるな、と思いました。
ばあちゃんとの別れはものすごく辛くて、火葬が終わって焼き待ちの間に皆が寿司とか食ってる間、火葬場の裏で一人で30分ぐらい号泣してたのを覚えてます。「人がこの世からいなくなる」ということ、肉体と魂の関係をはっきり認識したのは、ばあちゃんが死んだ瞬間から私はずっとばあちゃんに話しかけ、コンタクトを取り続けたからです。気づいたら必要に応じてチャネリングできるようになってました…。(どんな副産物だ…)
その体験を通して、「看病」っていうのは一方向ではないことに気づけました。ばあちゃんの死は、私たちにいろいろなことを残していってくれました。
病を誰にも言わずにしまい込み、限界がきたその朝突然サッと死ぬのも、ちょっと常人にはできないすごいことだと思うんですが(祖父の生き方そのものでした)、祖母の死に方とそこに至るプロセスというのは、「お別れを言う時間をくれた」という側面がありました。それと、その間にあったあれこれで、いろいろと問題も残してはいかれましたが…。(笑)まぁそれも、まだこれから生きるこちらの学びとして残ったということです。
生きるのは迷惑をかけあうことだけど、それは迷惑じゃなくて、面倒を見るっていうのはなんらかの理由につき、生きとし生けるものの課題なんだと思う。
スピリットアニマルオラクルにも、カワウソのカードにそれが出てくるんですが、「あなたは一人ではない」というメッセージに書かれている「面倒を見ることで、面倒をみられていることも思い出すよ」というものを、私はモルちゃんを見るようになってから、前よりさらに感じるようになってきました。
面倒を見たり見られたりすることは大切なことで、良い悪いはないってことなんだな…と。
どんな人にでも、面倒を見てもらわねばならない部分があり、また面倒を見る能力も与えられている。そんなことなのかな、って。軽く考えてよかったし、それを以ってして私なんだ、というのが、友達同士であり、仲間同士なのかな、って。そしてプロセスにフォーカスし、プロセスを楽しみ、一つずつを喜ぶことなんだな、と。
生きるということが、実態と実質を持ち始めたような気がします。
ところでね、世界は私を生まれさせたということは、世界は私を養ってくれると保証したってことなんだ、と今日、ふと気づいたんです。
この地球にいる間は、私を養ってくれる力が、きちんと面倒を見てくれています。
その力は必ず何かの形を通して、私を導いてくれていて、私は常に、養われている。
今回すべき成長を終えたら、また次の形になるべく、天に帰る。
「この地球に養ってくれるものが存在する」ということを、私はこんなに長い間、意識できていなかったのだな、と思います。今日もスピリットアニマルのトンボのカードにそれを言われまして…、「ハッ!!!!」てなりました。。(今日翻訳し直して突然ハッッ!!!てなったのはこのカードでした。笑)
私は、生きている以上、地球なりスピリットなり大いなる力なりに、きちんと養育されているんですね…。
…モルちゃんいなかったら絶対気づいていなかったなぁー…。
不思議だけど、そう実感します。
一人で家にいる時には、こんな感覚は生まれたことがありませんでした。。
「ペットを飼ったら、ゆきこちゃんはもっと強くなるわ!」
モルちゃんのご実家、譲り主さんが、なぜかそう言ってたのですが、今になってますますそう感じてきています。
強いって、私が思ってたような形じゃ、決してなくて。
「私は守られている」「私は養われている」と気づく、ということは、私を確実に強くしてくれました。
安心という感覚をほとんど持ったことがないまま生きてきたからです。
そっかー…。
…不思議だなー。。ありがたい……
いくら最初に決意があったとはいえ、地球はこうして、やっぱりものすごい速度で、夢を実現してくれました。
すごいなー…。。。
仕事もそうなってきた。
今まではどこか、辛くて苦しいだけ、みたいな部分があった。
何か現実世界で目標を達成すれば死ねるのかなぁ、みたいな。でもそれもないし…ていう。
でも、あ、違うんだなと思ったの、多分ごく最近なのです。
一番最初のきっかけは、多分前にもブログに書いた、「自分が周りに愛されてることに生まれて初めて気づいた」というところ。
そして今は「私は、自分だけが誰かの面倒を見るべきなのではなく、誰かに面倒を見られてもよいのだ」という認識。
これは、今までありませんでした。つまりどこかで、自分は面倒を見る側、与える側になるべきであって、だから自分が面倒を見られていることが許せない、という感じだったんですよね…。どこかでずっと、そうで。傲慢ですけど、本当にそう感じていました。
そのせいで今までは幸せに気付きにくかったけど、今日の午後ふと突然、とあることに気づいたんです。この国に来て二人もの作者が、イラストレーションをゆきこに描いて欲しいと言って頼んでくれて、喜んで私の絵と一緒にプレゼンしに行ってくれたなんて、あっ実はすごいことなんだな…って。突然…気づいて…。いや、これって何なんだろうって今まで思ってたんですよ。職業イラストレーターではない私なのでどこにも所属してませんし、突発的な案件以外引き受けてないわけなんですけど。しかしこれって、なんて幸せ者なのか。
打ち合わせの過程一つずつも、助けてもらっていいというか、質問して話し合うことすべてが必要なプロセスだと分かってる。すごいことだと思う。
すごいな。すごいことだな…。私は、自分の役割を果たそう。と。
フラ語の帰りの空を見上げながら、改めて誓った日でした。
地球においての「別れる」は、恐らく、他の星でのそれとは比べ物にならない質量を伴っていて、だからこそ、重要なんだろうなと思うのです。後悔とか、自責とか、幸福な思い出とか、体感とか、第六感とか、全部が一緒になっているもの…。地球で命と関わることは、ものすごいことだと思います。莫大な情報量の体験になります。
作品もそうで、完成させるってことは終わらせるってことでしょ…と思ってる自分がいて。
近年だんだんどんどん、「終わらせる」ことが怖くなってきてるような気がするんです。笑
でも、作りたいストーリーがある。諦めてない物語がある。
こないだ別の作家の友達と話してたら、10年越しのネタに突然結末が降ってきて、一気に書けた、てこととかあるから、諦めないでだいじょぶだよ!来るよ!!て言われてめちゃめちゃ勇気出ました。。
私の内面の変化や成長と一緒に、そういうのも来ると思うんですよね…。一つずつって、絶対繋がってる。。
だから、これからもちゃんと諦めずに、ちゃんと継続して、
一つずつに集中して、さらに良いものを作っていこう、って。
思うのでありました。
「死」についてのブログのはずなのにね。
いや、表現とか創作って、生と死に直結してるんですよねぇ…。私だけ?
いやいや。。そんなことないでしょ。
オマケ。
滅多にならないアクティブモードになったモルちゃんの冒険…



秘蔵のモルたまも…載せちゃったぞ☆ごめんなモル☆
んだば!!