オラクルカードはっけん日記リターンズ

オラクルカードの使い方や解釈の仕方のヒント、及び筆者の実際のスピリチュアル体験を記録がてら綴っています。

体調を崩していた間に感じたこと。

・人生を生きれば生きるほど、人と人との人生を比べることなど決してできやしないのだ、ということが身にしみてくる。

結婚しているしていない、子供がいるいない、お金がたくさんある全然ない、地位があるない、五体満足かそうでないか、頑丈か病気がちか、長身か背が低いか、デブかガリか、そんなもので人生を決められるはずがない。

どのような職でもどのような立場でもどのような環境でも人生でも、難点や後悔や苦しみがあり、満たされない思いもあれば、どのような環境でも人生でも、たのしみや喜び、魂の底から感じられる満足がある。

何を基準にするのか、それは唯一、「その人がその人自身の人生を生き抜く」という基盤においてのみ

・自身の人生を精一杯生き抜こうとすれば、人と比べる必要もなく、すべての違いも尊重するしかないのだと分かるし、それを頭ではなく心で受け止め受け入れようとするならば、それはその人となる。

他人のも自分自身のも、人としての未熟も成熟も受け入れ、正義も悪も実際にはないと理解し、かつ、自分が関わるべきものとそうでないものには線を引いてよいという行動をしていればいい。人間には限りがあり限界があるが、それは祝福なのだから。人間にもし限りが全くないのなら、神にでもなるしかないが、人間は神ではない。同じように、自分は他の人には絶対になることができないし、同じく他の人が自分になることは絶対にできない。りんごはみかんにはなれないし、なる必要など何処にもない。それを「同じ人間だから」という幻影に惑わされ他人との比較をいつまでも続けていれば、いつまで経っても、何十年生きようとも、不満と不安と幻影しか見えていない人生になる。それはとても残念で、不快でもある

・ならば生き抜こう。

不安と恐怖は、他人に比べて自分が劣っているからではない。自分自身という全てを受け止めきり、そこに満足しきるまで味わい尽くしてやろうという気概が足りないだけだ。人間にできないのなら、神と天使の力を頼るがいい。心を開くということはいつだって難問だ。だが、本気で祈ればいい。自分自身を楽しみ生きる覚悟をください、いつ何時でもそこからブレないようにわたしを変えてくださいと。

その祈りを聞かない神がいるだろうか。いるわけがない。神の望みを、あなたが完全に理解したのだから。

お前自身の立つべき足元を、お前自身のエゴから奪回せよ。