オラクルカードはっけん日記リターンズ

オラクルカードの使い方や解釈の仕方のヒント、及び筆者の実際のスピリチュアル体験を記録がてら綴っています。

Creativityとは。

この記事、去年6月に書いて、アップしたと思ってたのに、してなかった…。ちょっとびっくり。同じテーマで今日追記しようと思って記事を探して発覚したので、今日はまとめて記事にいたします。

creativeenergy_icon.gif

皆さんのオラクルカードで必ずといっていいほど入っているであろう、「創造的なことをしましょう」のカード。

Creative, Art Expression, Express, creativity、とか。

言ってることは分かるけどさー、という方も多いかと思います。

かくいう私も、こっち本業のわりに、いや本業だからこそか、

「創造力って、いったい何なんだろう?」と思いながらいろんなことを試行錯誤しています。

が、最近、言語化できました。

「むらむらっとやる気が出てきた」とか

「むらっと○○したくなった」とか。

あれです。

あれが本物のクリエイティビティーです。

「あれしたいなー」

「これできたらなー」

「ああ、情報を集めなくちゃ、やらなくちゃ、やったらきっとすてきに違いないんだから」

なんていうのは、本物の創造力じゃありません。

まだプラン段階か、時期じゃないか、本当はそれほどやりたいと思ってないかのどれかです。

創造性って、むらむらとやりたくなるもの、なんです。

さっきから「むらむら」と連呼していると、非常に性欲的だなぁと感じられる方もいるかと思うのですが、それが芸術性や創造性が性欲や男女性バランスを司る第二チャクラだと言われるゆえんです。出どころや、原理、そのエネルギーの発生して上がってくる場所が同じなんです。人間ってそんな複雑じゃない。「何かを生み出す」時に、私たちは「むらむらと」わき起こる何かに従って動くのです。

去年の夏頃、言語化ができてなかった頃に、図解にしてみたのがこれです。

creative-energy.jpg

この図では

「目で画面やモチーフを見て頭で考えて手に降ろしてくるんだと思ったら、大間違い。

 ものを作るということは、何か下の方の深い場所から何かが勝手にわき起こってきて、手がそれに従って突き動かされるものである」

ということを書いています。

つまり、アイディアの元の段階から、創造性とは頭や視覚など限定された世界でコントロールをせず、自分の「ルーツ」、根っこの部分の自分を肉体的・精神的・霊魂的に繋がることであり、それを形にすることが「生み出す」=創作行為、なのだということです。

創造的エネルギー

なんて書かれてたら大げさに聞こえますが、実は本当にシンプルなものです。

皆さんが知らないうちに、皆さんはそれを使っています。

というのは、生命維持活動自体が既に「Creation」ですし

それを維持するための料理、これは多分皆さんが毎日自然にやっている創造的行為です。

実際、料理をすると気持ちがスッキリしたり、実験で試した作り方が成功すると心が深い満足感を得ることがありませんか?あれ、創造性の基礎なんです。生命を維持しつつ、無邪気に試し、インスピレーションを即、形にしているんです。

この世に誕生することことが最大のマニフェステーションだというのと同じ原理ですなぁ。

なので、アートだとか音楽だとかダンスだとかがピンとこないとか、気恥ずかしいとか、何していいのかという時は、とにかく料理を追求するのはいいテだと思います。何もする気が起きなくて外食やインスタントばかり食べてるとか、お惣菜はもっぱら買ってくるなんていう方は、クックパッドを検索することから始めましょう(´▽`)むらむらっとやる気がしてきたら、材料を買いに行って。作ってみて、食べてみて。外食もすてきだけれど、やはり自分で作ると、心の深い場所にエネルギーが行き渡り、満足感が得られるなぁと私は感じます。

それすらもピンとこないなら、お料理教室に行くなんていいんじゃないでしょうか?お料理に熱心な人たちっておいしいもの好きだったり楽しいこといろいろ知ってそうですから、意外な趣味が見つかるかもしれませんよ。

創造性の面白いところは、「自分の計算力が猿知恵にすぎない」ことを受け入れるところです。

理性面で必要なブレーキ能力はせいぜい、「作業中にケガしないように」程度にしか使いません。

創造のための計算などは、右脳で可能だと思います。(それを売ったりするマネージの段階になったら、左脳使ってくださいね。笑)

想像の段階では、ブレーキ能力による理屈づけは一切いりません。

「ビジョンの目」で見たものは、脳で処理されるのではなく、下部から浮かび上がってきたものがただ第三の目に便宜上投影されているだけで、実は頭では一切処理してないんです。しなくていいんだと思います。行き詰まったら、理性で考えて突破口見つかるかといったら、見つかりません。せいぜい気分転換して、全く違うことをして、バカな遊びとかでもして、まっさらな状態になってから改めて全体像を見たり細部を見たりした時にふっとまた、「あ」と奥の方からわき上がってくるんです。で、そこからまた再開する。ものを作るって、そういうことです。

だから、浮き上がってきたものはそのまま直結で手、もしくは作業する部位(例えば、足で絵を描く人なら足へ、踊る人ならば全身の細胞へ)そのまま直接到達し、そうして創作行為がなされます。

よく「生産性のない行為」なんて言葉を耳にしますが、

創造的行為とはもともと「生産性のないもの」なんです。

理屈もない、ただの欲求。でもその欲求にしか、【この世に一つ】のものは産めない。

はははは。この矛盾!

これこそが創造なのですね。

たとえの一環として個人的な話をしますと、一昨年からファインアート(ほぼチャネリングだけで書いてた)の絵からイラストレーションに本格移行するにあたり、ここのギャップがなかなか埋まらなかったんです。色彩計画や本の構成やコンセプト、テーマを固めていきながら、自由に絵を描いていくという作業の中で、どうやって「頭を使わない」ことができるかが非常に難しくて。頭の使い方がまるで違うのです。どうしてもある程度は計算しなくてはならなかったり、目算を報告しなきゃだったり、プランを立てたりということがあったので、私は去年一年間、勘違いをしていました。イラストレーションだから、少しは計算でしか成り立たないものがあるのではないか、と思っていたんです。でも、それもちょっと違う。うまくいかない。

で今年になってから再び本作りにトライして、やっと分かったのは、アイディアもコンセプトも、本の構成も計画も、計画自体が「むらむらっと」とか「どうしてもこうしたい」「多分こうなる気がする」という感じでわき起こるもの、そして決まっていくものだ、ということが分かったのでした。

そうすると、少しぐらい間違えたとしても、しょせんパソコン時代なので何度でもやり直しが効きますし…(笑)結構、なんとでもなるんです。手間はもともと惜しめないメディアですから、ちょこまかと働き続ければいいだけの話なのです。という。(´ー`)

専門領域を本格的に切り替えるこの三年間、なんとか最後にギリギリ間に合ったか…?という感じです。

創造って深い。面白いです。

結論。

読み替えとしては「頭で考えず、感性や『なんとなく違うと思う』『なんとなくこうだと思う』と感じる時、それに従ってものごとを現実化していくトレーニング」こそが創造性を発揮して何かを作ることから、私たち人間が学んでいることです。

なので、その動きを活性化させることを教えていたり、創造性を刺激することで人生を楽しむ術を今一度取り戻す時にもこれらが出るでしょう。

自分がどうも頭で考えてばかりで守りに入っている気がする人などは、このへんに心当たりがあるかもしれません。

そうでない人ならば、今は創造的なことをして自分の人生や生命力、生命エネルギーを活性化させ、人生を楽しむべき!ということです。

自分自身という命の面白さを実感するには、創造行為が一番なのです。

他人と自分を比べて優劣をつけるクセからの脱却や、完璧主義からの脱却も学びも含まれています。実に深いのです。


右脳力と左脳力は、そのまま女性性と男性性エネルギーの使役バランスでもあります。

どっちかだけ使ってはダメです。バランスが取れません。

女性だからといって、受け入れてばっかりでは疲弊し嘔吐するでしょう。

男性だからといってバシバシとものごとの決定ばかりしたいなんて思っていれば、足元がおろそかになってすぐ転びます。

男性的な女性は、身の回りにある全ての存在たちや、足元にあるもの一つずつを拾い上げ丁寧に育てることを心がければ、全てうまくいくでしょうし

女性的な男性ならば、自信をもって優しく育むことを続ければ、周りの全ての人達が優しく和らぎ安心して働き生きることができるでしょう。

これは、チャンスなんです。

体の性別も一つのヒント。

自分が何を乗り越えようと思ったかの大ヒントも、性別にもちゃんと隠されています。

そしてそれよりももっと大切なのは、

どんな性別やジェンダーに生まれようとも、全ての人の中に男性と女性があり、両方のエネルギーを使っていくこと、だということです。

この二つのエネルギーが結びついた領域は、正に「創造性」が働く場所、インスピレーションややる気がむらむらとわき起こってくる、生命エネルギーの源泉、なのだと思うのです。