オラクルカードはっけん日記リターンズ

オラクルカードの使い方や解釈の仕方のヒント、及び筆者の実際のスピリチュアル体験を記録がてら綴っています。

予定全て終了。そして気付き。

昨日、全ての「人と会う用事」が終了いたしました。

まだ行こうと思えばあったのですが、昨日できっちり持ってきたお土産がなくなったり、携帯に差して使ってた1GBの定額プリペイドが通信料カッチリ終了して外でメールなどが一切できなくなりましたし、そしてこれも久々にやってたのですが、昨日は会う用事を終えて地元に帰って来た瞬間に、体力が最後の一滴まで振り絞ってしまって全く残っていない、という状態になりました。ご飯食べるまで力一滴も出ず、立ってもいられず、ぐったり机に突っ伏すしかないという状態。ご飯が出て来て、一口ずつ食べている間に家に帰る体力だけは復活したのでおうちに帰れましたが。(´▽`)昔はこうやってよく再起不能になってたなぁ…。最近は、絞り切ったようでも地力がついてたり、思考回路をうまく使って負担も減らせてたので、追い込まれたようでも次の日になったら復活してるという感じでなんとか今日までやってこれたのですが、昨日の帰りにほぼ全く動けなったので、これはもう貯蔵量までも全部絞り切ったなと。

というわけで、今日明日はさすがに家でゆっくりしつつ、甲子園を見つつ、荷造りをじっくりやっています。甲子園も雨で二日順延したおかげで、何故か私の日本滞在終了日に甲子園も終わるっていうね…。こういうの、よくあるのです。自分が注目してるものの節目と、自分の活動の節目も同時に迎えてるっていうの。作品の仕上げで追い込んでる時に、テレビで相撲とか野球見てパワーもらいながら最後の追い込みをやる、っていうのが昔からよくありました。これもリンク、シンクロニシティーです。

大量のカードも含めて、どういう荷造りをするか相当練らないと渡航できなさそうだ…。行きに何故か規定を4kgもオーバーしてたのに「ショッピーン?仕方ないわね。次から気をつけてよ☆」という嘘みたいな一言で許してもらえた奇跡が起きてしまったため、恐らく帰りは無理であろう。ぼく、頑張る。帰りはちゃんと23kgの荷物にするよ。はぐはぐ。

そんなこんなで、あと一つこの数日で気付いたことがあって、それが全部の原因だったと分かりました。

まぁ、気付いてしまえば単純なものですが、私個人は苦しんできた10年間でした。

今やっと全部の理由が分かりました。

23歳頃まで、私はまだ力を押さえる方法を知らず、私の発言の力は相当のものがありました。本当に思ったことだけを口にする以外の選択肢を知らなかったため、何かを発言するとそのまま現実になることも多く、予言?なんて言われたりしましたが、予言じゃなく、ただ「本当のこと」が私にはすぐに分かりましたし、それをそのまま言ってただけなのです。

他人がそれをどう思おうが、私個人は知ったこっちゃないというスタンスで基本的にはいたのですが、その力が23歳頃のある時、自分の好きなものが解散するという現実に影響したと知ったとき、私は恐ろしくなってしまったのです。もちろん、決断したのは本人たちの意志であって、私ではない。でも、私が発した言葉が真実を突いていたため、それを発端に彼らは話し合い、解散という結論に至ったのです。(今の自分から言わせてもらえば──彼らは最高レベルの生徒でした。ここまで自立できるのだから大したものです)

でも、私にとって本当に大事なものでした。だからとてもショックでした。終わると知っていたのに、終わったことが悲しかった。私の、真実を言う以外に選択肢を持てていない力が嫌になった。そんなものなければもっと幸せに過ごせたんじゃないか、そして言葉の正しい使い方を私はもっと学ばなくては本当は発言してはいけないんじゃないかと、私は本気で思いました。それは前半は間違っていましたし、後半は一部正しい把握でもありました。

そこから、私は自分の発言力をなるべく閉ざしていくことに、無意識のうちに固く決心しました。人との交流も自然と減りました。私の発言は特に男性に響きやすかったので、男性をだんだん遠ざけていったようにも思います。私と縁のある男性はとても素直で実直かつ繊細な人が多かったので、なおのこと、私は彼らと関わらないよう努めてきた気がします。ただ、全て「無意識裏のうちに」行われたので、私は全く自覚なしにそう意図し、行動したのです。

男性たちと、思ったことをそのまま言う能力を遮断することに成功し、私の人生がどん底まで行き、オラクルカードに出会った時には、そんなことはすっかり忘れていましたが、ただ、いつのまにか関わっている人たちが女性しかいなくなったのは気付いていました。ただ理由が分からないので、とにかく不思議に思ったまま、何年も何年も過ぎていきました。

今思えば、その出来事によって自分の力を恐れたのは、この出来事が全てなのではなく、過去生において蓄積して私が乗り越えなくてはならなかった、自分の影響力によって及ぼされたのではないかと感じた全てについてのトラウマだったり、個人的な喪失の恐怖がそれに反映されていたのだと分かります。

でももちろん、当時の私はそんなことは知りませんでした。

言葉についても、実際私は言葉に対して、もっと微細で確信的で、もっと愛を知り、愛を込めて表現することを知るべきだったのです。そうしないと自分の発言能力を後に活かすことはできなかったでしょう。これらは全て、オラクルカードを通して、ここ数年の間に急激に叩き上げられました。ものの言い方、言葉のチョイス、どういう人にどういう言い方だと響くが、どういう言い方だと逆効果なのかなども、相手によって全く違ってきます。私は、どうしてもカードのことを知りたいという一心で天使の言葉遣いに習熟し、どうしてもカードのことを教えたいという情熱を通して、言葉遣いや発言力へとそれらをシフトさせていけました。

そしてこの夏、長かった違和感の正体にやっと気付いたのです。

まず、若い頃本当に男友達が多かったのですが(むしろ男の方が多かった)、彼らと久々に大量に再会したおかげでなんとなく、それが普通だった頃の自然な状態の自分を取り戻すことができました。非常に自然に彼らと話し、やはり女性の友達とは全く違う素朴なスタンスでいる男性という存在のことがまた好きになりましたし、自分もすごくラクな気持ちになれました。

次に、旅の最後にワークショップをしたおかげで、「発言力」や「話し方」についてあの頃自分に抱いた疑問が解消できたこと、ある意味では実力がついたということを、実感することができました。WHRの活動に熱が入れば入るほど、「本当のことを言う能力」は磨き上げられていますから、自分の発言の影響力、人びとを引き寄せたり励ましたり時に叱咤激励する力の真実みを出来る限り隠したかったという私の10年前の目論みはここに砕け散りました。

私のいくつかの、指導者としての過去生での苦しみ、痛み、それから非常に魅力的な人物として動いていた2つ前の日本での過去生も関係していました。魅力的であることは、世間にとって破壊となることが多いのです。そこには、普通に結婚することができなかったその時の男女性の問題、魅力的な人物であることで愛の生活は満たされるという素直さ、他人の人生を多少なりとも狂わせている自覚など、今まで苦しんできた全ての自分の資質に絡まった思い込みや苦しみの原因が、それらに強く影響されていることも理解しました。ここ数年の私の恋愛パターンはこうです─「いいなと思った相手に、家庭がある」。これは、2つ前の過去生のトラウマでした。この夢を、つい一昨日あたりに見て、「またか!」と夢の中で叫んでいました。起きてから「あぁ、あれか…」と呟きました。私はあの時代の悪夢を、今の自分の生活の中でも見てしまっていただけなのでした。

そして、女性限定の世界に一時的に逃げ込んだ理由も、今週よく分かりました。

沢山の女性たちにお世話になり、私を育ててもらいましたが、過去に嫌な思いをさせてまで私を独り立ちさせてくれたたくさんの女性の知り合い達に完全に今、一区切りがついたのが分かりました。今は本当に感謝しています。私が独り立ちする勇気と自信を取り戻すまで育ててくれたフィールドから、出て行くときが来ました。全ての素材が今、揃っているのも感じます。

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この、すてきなね、子供の天使が私のもとに来たとき、

ああ「子供」つまり、未熟な時代の自分から脱皮する日が来たんだ、と悟ると同時に

その「子」が、こんなにも純粋で輝いた目をしているので、私を本来の姿にも引き戻してくれました。それが間違っていなかったのだと、神さまが保証するために、天使を人の手を介して送り込んでくださったのだと分かりました。

私は子供の頃、本当に天真爛漫だったそうです。

そして、何故かちょっと高い段に立って「はい、皆さん!むしむしたか!?」と言ってたそうです。むしむしたか!?というのは「分かりましたか!?」というのが滑舌が悪くてそうなったそうです(笑)。小さい頃からあんたは先生体質なんだと、母がいつも笑って話してくれます。

わたし、変わってないのね。。と、この子を見たとき、本当にしみじみとしてしまいました。

先生というか、人前に立って話をするタイプの人、なんだと思います。

その人に魅力と説得力がなくては、成り立たない職業。

そのことに罪悪感すら感じて今まで生きてきたんですが、素の状態で私はずっとそうだったのだと、やっと思い出し、受け入れ、そうすると本当にすごくラクなんだということも、そして周りもそれを喜んでくれるのだと、WHR仕事のおかげで理解することができたら、本業の方もどんどんチャンスが巡ってきているので、これからどんどん、私の人生は回っていけると思うし、社会にも貢献がやっとできていくのだろうなと感じます。

自分自身でいられる状態、自分の能力や素質に目が開いた状態でいると、人はこんなにも気持ちいいのかと、今、心から味わっています。

自分はおかしいんだ、能力を閉ざそうと決め、自分は役に立たない人間だ、無価値な人間だ、というところまで落ち、そこから7年。

私としては、長かったとも思います。

でも、同じ過ちを二度と繰り返さないためにも、必要な年月だったのだ、とも実感しています。

もう二度と自分を否定したり、押さえつけたり、苦しめたり、自分だけがおかしいのだなんて思わない最大限の努力を続けることを、今なら誓うことができます。

そして、そのことをたくさんの人に伝えていくこともできます。

自分の好奇心という生命力の根本をフル回転しながら、全ては回っていくのだと、自信をもって伝えることができます。

そのタイミングがかっちり合って、誰かが水面へともがきながら上がってこようとしているその瞬間にシュッと助けの腕を差し出せる一人となりますように。上がってこようとしない人を助ける必要がありませんが、助かりたいと願うならば、その人にとって効果的な一撃となる「その一瞬の腕」となれるようにと、全ての仕事において私は願い、真摯に堅実に積み重ねていきたいです。

今、とにかく気をつけてるのは、急ぎすぎないこと。。ゆっくりじっくり確実に、焦らず急がずに成長すること。着々と少しずつ、一つずつ成長していくことです。

そして、自分の力をもう二度と隠さないこと。

むしろ今までもそうしてきたように、全開で出し続けること、そして自分を受け入れ続けること、常に変わり続ける自分を毎瞬間愛していられるように、生きていきます。

この人生で叶えたい夢も、何故か今、すんなりとまとまっています。

実現したいです。必ずします。なんか、出来るんだな、と思い始めました。今は途方もない夢なのですが。

「一瞬の腕」としての人生を、全うできますように!