ボタンの掛け違い。

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ここ最近、
「スピリチュアル的問題は、単なるボタンのかけ違いである」
という思いが、
私の中でひとつの確信になりつつあります。

なんていうか、人生にはいろんなことがあって。
生きれば生きるほど、考えてもみなかったようなことに遭遇するし。

人間って本当、完全体なんです。
その人というものは、生まれた時からもう既に、すべて完成してる。
とはいえ、魂の成長のために私たちは厳しい地球に生まれてきているので、魂の学びと成長が必要なのも確か。
「変化」と「完全」の間で、バランスに戸惑うことも多いのが人生なのかもしれません。
人生は、自分そのものは完成体であるという素晴らしさと、まだまだ未熟で学ぶことがたくさんあるという両方を、同時に大切にして生きていかなくては道を外れてしまう…という、なかなかのハードルでもあるんですよね。

で、「ボタンのかけ違い」の話です。

かけ違えてシャツを着てたからといって、あなたは、間違えたわけじゃない。台無しにしたわけじゃない。ましてや悪いことなんて、していない。
ただ、ある朝ふと、ボタンを掛け違えてシャツを着て、その違和感をずっと「おかしいな」と思ったまま今、暮らしてきて。
そこで何かが起きて、はっ、と気づくわけです。これが違和感の正体か、と。
じゃあ、一回間違えたところまでボタンを外して、着直しましょうね、という。
それが、スピリチュアルとライフヒーリングの領域です。
たとえその、起きた「何か」が重大な病気や怪我だったとしても、宇宙から見れば「ボタンをかけ直すチャンス」という平等さなのが人間目線からは恐ろしいところですが、そんな感じだったりします。
そこで向き合えば、ボタンのかけ違いは正せる。
学びを拒否すれば、シャツが変だ…!という違和感を誰よりも感じつつ、それを懸命に無視しようと突っ張って生きることになり、他の部分もほころびてくる。
向き合ったほうが早いかなとは思いますが、抵抗もまた人生。
思う存分抵抗してから、やっぱり…シャツをいったん着直そう、、、というのも、すごく大事な学びです。

そしてそのために、人生には大なり小なり、リセットをする時期が定期的に来ます。
小規模で言えば、一日一日の生活。
長いスパンで言えば、10年に一度ぐらいの大きな大転換などがあります。
その中間地点も、いわば無数にあります。
人生は、成長し変化していくもの。
人間の頭は、自分の成長に対して、心や体のように最も敏感な部分に大きく遅れをとり、感情を介して、一番最後に理解が追いつくのですが、そこで自己理解が追いついたとき、大きなカタルシスを感じると思います。
ボタンを掛け違えている違和感に悩んできた人なら、その気持ちはすごく大きく感じると思います。

日々丁寧に生きていたって、粗雑に生きていたって、すごくうまく行く時と、全然うまくいかない時がありますよね。時期だとか、巡り合わせだとか、自分以外の人の都合や事情だって複雑に絡んでるのですから、人生全部が思い通りになっている人はあまりいないはずです。
そこを解きほぐしたり、内観したりして、ボタンをかけ違いを定期的に修正しておく。というのが、スピリチュアルの目的であり、
私の活動の目的でもあり、
私自身も生涯かけて取り組んでいることです。

私にとって、スピリチュアルに必要なことは、霊や天使を見ることでも、占いの知識があることでもありません。
人生を真摯に生きてみる。
ふと立ち止まって、自分に誠実に生きているかを確認する。
やりたいことを、自分がやろうと思って生まれてきたことをちゃんとできてるかを、確認する。
ちゃんと自分でいられてるか、自分の喜びに対する裏切り行為をしていないか、確認する。
そういう作業です。
誰にでもできることであり、
誰にとっても難しさを感じること。
そういう、普遍的で、当たり前で、
だからこそ難しいとも、
だからこそ素晴らしいとも感じる、
ただ、「生きる」ということ
そのものです。