

この世は不思議なものです。全ての存在は等しく、そうあるべき形に作られました。これは理想論ではなく、実際にそうなのです。
ところが人には、「自分でなければ」もっと良かったのではないか、と隣の芝生の青さばかりが目に付く時があるものです。
背が低い人は、もっと身長があったら、と思ってしまいます。
背の高い人は、こんなに背が高くなければ、と思ってしまうのです。
中くらいの人なら、もっと高いかもっと低いかすれば、と思うものです。
人間とはそのようにできていて、それ自体は悪いことではありません。その力は、自分以外のすべての人にある素敵なところ、すばらしいところを称えられる力として使いましょう。そして、あなた自身が「私はこうあるべき姿じゃなかったのではないか」と考えるのを、やめるところから始めましょう。
━または試しに、自分がもし今より大きかったら、今より小さかったら、もし男だったら、女だったら、違う国の人だったらなど、考えに考え尽くしてみてもいいでしょう。どちらにせよ、あなたの中で「それでも、自分はやはりどういうわけだか、この形に生まれるべくして生まれたのだ」という、真実が見つかるのではないでしょうか。
Self-acceptance(自己受容)とは、そこから始まります。自分の全てが「これでよかったのだ」と思うことは、決して高慢でも、やりすぎでもありません。ただ普通にすべき、普通のレベルです。これが苦手な人はまず、「あなたはすべて、余すところなく、これでよかったのだ」と、理由が分からなくてもいいので、自分自身に言い聞かせるところから始めてください。今使っている手帳の一番最初のページにこの言葉を書き、日に何度も眺めましょう。鏡を見て自分にこう語りかけましょう。
それが当たり前であることを認めると、まもなくして、世界の見え方が一変します。今まで思っていた世界ではなくなるのです。すべての人が等しく素晴らしいこと、どんな状態にある人にも意味、つまり「命」が与えられているということ、その意味というものは、人間の知性での認識力を超えた場所に存在することが、肌感覚で分かってくればしめたものです。あなたは突然、自分が一人ではないことを知るでしょう。
あなたの背丈は、いつだって完璧なのです。
自分を知って受け入れ、自分以外の人もすべて完璧であることを見て、微笑みながら暮らしてください。