オラクルカードはっけん日記リターンズ

オラクルカードの使い方や解釈の仕方のヒント、及び筆者の実際のスピリチュアル体験を記録がてら綴っています。

次の場所へのプロセス

いろいろ話しそびれてるので、興味ないかもしれませんが例の今の自分のプロセスを書きます。

あの、あれですよね。フランス行くって決めた話してないですよね。……してませんね、多分。

なんか夏から、これは書いた?なんか人生激動期の友達と頻繁に会ってる間に、お互いにものすごい速度でどがんどがん変化していって、とはいえ私はまだ別に何か大きく物事が変わるわけじゃないし、なぁ〜。とか言ってた9月初旬頃、突然、「なぜ私は今までこの国で画家としての活動を一切しなかったのか?」て、思って。

て、思った瞬間に「この国はデザインはレベル高いけど、ペインティングのレベルが本当に低いので、全くモチベーションを抱くことができなかったから」という答えは瞬時に出て来て。「じゃあ、どこならやる気出るの?どこでだったら、玉砕覚悟で、それでも自分の美学をぶつけて試そう、挑戦しようって思えるの?」と自問自答したら、これも即座に答えが出たんです。「フランス」。って。

簡単じゃないだとか、難しいことに目を向ければ、それはいくらでも出て来ます。枚挙に遑がないとはまさにこのことでしょうね。でも、それじゃダメなんです。それをしてても人生は動かない。私は、自分の美学が必ずいつもフランスに結びついていたことを思い出して、それを信じてみることに決めたんです。

でね。

昔から私が抱えてた地味な悩みが「フランス語の音がすごく嫌い」…だったんです。

文学も好き、映画も好き、美術はもちろんこの世で一番好きで…。いろんな国や時代の絵がバーッと並んだ展示で、あっこの絵だけいいな、これだよ、これが芸術ってものなのだよ、と20分ぐらい穴があくほど一枚の絵だけを見つめて、やっとキャプションを見たら国名のとこに「フランス」って書いてある……なんていうことばっかりだった私の人生。好きな画家、圧倒的にフランスが多いんです。現代美術を初めて心から素敵だと思えたのも、パリで一人で美術館巡りしてた時でした。好きな画材も、これいいな〜、もうこのメーカーさえあればいいよ、て思ってパッて見たらフランス製、とか、ザラです。もちろん、音楽も、食べ物も、バレエも、オペラも…。これまた枚挙に遑がありません。

そう。それなのに。

なぜか私はフランス語が嫌いだった。

旅行でパリに行き、ホテルに着いてテレビをつけたら、音が気持ち悪くて30秒で消してしまった、というぐらい嫌いで。

なんでなんだろうか…。でもこの薄暗いような気持ちは、恐らく過去生に根ざしているというのは分かってたんですけど、なんか…掘ってはいけない泉を掘り返してしまうような…そんな気がして、怖くて触れない部分だったのです。

なんですけど。フランスに行く、と決めてしまったから。フランス人がどれほど英語を喋りたがらないか、フランス語をしゃべるだけでどれほど外国というものが掌を返すか、私は知っているので…。フランス語を、やるしかない。マジで読めないフランス語を。何度聞いてもさっぱり覚えられないアイツを。どうにも嫌悪感を拭えない、アイツを。やらねばならない。

……………。どうしたもんか。この気持ちの理由はやっぱり、思い出さねばならぬ。

というわけでですよ。

職業人会で透香さんに、その話をしてたんです。ついでに、全くの別件の話もしてて、とある友人についての悩みで。「無邪気な人間が正直どうしても許せない。その無邪気さが時に人を残虐に殺すことがのだと、あいつらは知らないのだ。私はただの悲観主義者ではなく、その危険性を言ってるだけなんだ…」という話をしてたんですよ。そしたら、透香さんが「あ、その話とフランス語嫌いの話、繋がってますね」と。……おぉ、さすが本職だよ…。本職はいうことが違うね……って茶化すのはともかく…、言われてみたら私の中で妙にすとんと「あっ、ほんとだ」て符合した感覚があり。そこからちょっと、掘り下げてみたんです、二人して。けっこうさらっとすごい情報出てきちゃって、びっくり。でも納得。

で結論から言うと、魔女狩りを目の当たりにして人類に全く希望を抱けなくなった晩年、という生涯を送った、教会関係者…というか、教会直属の、教会専門の建築家の男性。の時の過去生が、あまりにも自分の中で重すぎて、辛すぎて、思い出すことすらも封じていた模様。(思い出したとき、あまりのヘビーさに言葉を失ってたら「ごめんなぁ、思い出させるのも申し訳ないなと思ってたからなぁ…」て謝られました。。)

この建築家ってのがまた面白くて、すんなり記憶が出てきたんですが、教会を新しく建てる要請を受けてその土地に出向くと、まずばーっと土地を全部見て歩いてエネルギーやメッセージを理解し、この場所にこの向きでこういう高さでこういうデザインのを立てろ、石の材質はこういうのがいいからこっから取り寄せろ、画家と彫刻家はこのあたりがいいだろう頼め、あ絶対ここに出入り口つけろな、こっから神様入ってきて通るから。みたいなことを言ってジャジャジャッと建築図書いて、じゃっまた見にくるから。て現場の人間に任せてまた次の場所へ仕事に行く、ていう人。面白いでしょ。(笑)チャネラーと建築と美術を全部同時にやってたんですよ。…今と同じでしょ?(笑)同じなんです。。でその時は建築、だったんです。「この場所にこういう向きでこういうのを建てろ」っていう。もちろん全ての計画は神がどう言ってるかを聞き、受け取って、形にしていました。やっぱり世界各地、どの土地にも「霊脈」「龍脈」みたいなものがあるので、でもあまり一般に言って簡単に理解してはもらえない事項なので、表向きは「本能でわかる」ぐらいの感じにしといて、実は完全に神託でやっていました。すごい有機的ですね。あと、今と同じです…。わたし、旅行に行って神社や教会を見るのが大好きなんですけど、ちょっと見方が変なんですよ。いつも「いやーそうそう、ここなんだよ、この場所ね!で、こうきて、こうね!そう!」って、なんというかこう、「その土地に対するこの神社の立ち方」みたいなのをいつも見ちゃうんですよ。あまりにも普通にそれしか見てないからなんでかなと思ったこともなかったんですけど、この過去生見てから、いつも旅行に一緒に行く母にこの話したら「あ、そういえばあんたいっつもそういうこと言ってるわよね。不思議なこと言うなーと思ってたのよ」ですって。うん。だよね。。

あと、全くの余談なんですけど当時珍しくないのかむしろ珍しいのかよく分からないんですけど、ゲイで、パートナーは男性でした。そいつ今もフランスにいるらしいので、探し当てないといけないんですけどね…。まったくね。ははは。待ってろちくしょう…。

あと、今書いてて気づいたんですけど、この話を書き始めるとまとめるの大変だから書くのサボってたら、今になっちまったんでしょうね。(案の…定…)

あー。そいで、魔女狩りなんですけど。

あの時代はですね。ひどい時代でした。いわゆる「普通の人たち」が、神という正義の名の下に、好き放題、人間が信じることのできない神性や未知を持つ人々を、笑いながら殺していった時代だったからです。

私が守ろうとしてきたその人たちが、そうするようになったことが、最初は理解できなくて。理解して次にもちろん、それを出来うる限り止めようとしました。教会の上の方にもなんとかできないのかとどれだけ努力したか分かりません。でも、できなかった。あれは時代のうねりでした。人間の最底辺の倫理と下品が膨れ上がり、愚かな人々が「でも、愚かな私たちだからこそ、神様は愛してくださるんでしょう。そう教会で言ってるじゃありませんか」と言いながら、市井にひっそりと暮らしているだけの、直感や自然の中の神性と暮らす、今で言えばスピリチュアルな人たちや繊細なただの一般の女性たちを、面白半分に血祭りにあげていったのです。

私がやっていた仕事を理解してくれたのは、むしろ後者の人たちでした。そうした繊細で、感受性の強い、優しい人たちが、己が愚かさと狭量さを一切受け入れられない人間たちに、ことごとく殺されていきました。戦争なんかよりよっぽど残虐だった。戦争はまだ平等です。この時代、人間がどれだけ救いようのない生物であるか、私は刻み付けられてしまった。

時代の流れで、あれはやらないといけなかったのはもちろん分かってます。常に神と対話してきた私なので、どうにもならなかったことぐらい、当時だって分かってました。もし神はいないなどと言えたら、どんなに楽だったか。神をもってしても、噴き出さなければならない愚かさがあるということが、本当に辛かった。目の前でここまでされて、なぜ私はそれでも、人のためにしか生きられないのか?人間がどれほど愚かで救う価値のない生物か、今、この目で見ているのに。

そんなわけであの時代、人間の愚かさが絶望的だというただの事実を、刻み付けられてしまい、その時に使用してた言語がたまたまフランス語だったから、嫌いになってしまっただけだったのです。とりわけ、汚いフランス語が。(そういえば、ホテルで30秒で消したテレビは、若者が複数人でベラベラ喋っている三文芝居のドラマでした。)

ある種の人々には理解されないと思うのですが、私はいつの人生も、人のことばっかり考えて人のためになることばかりする人間です。これはもう、性根なので、治らないのです。フランス各地を飛び回って教会建築に尽力したのだって、地元の人々の拠り所となる神聖な場所を確実に作り上げ、神を心の拠り所として持ってほしかったから。それによって人が安定することができるのも、知っていたから。私は私の仕事にいつも誇りを持っていました。地元の人たちとよく話をして、その上で下すべき決断は下し、根気強く話し合い、最善を尽くしてきました。それもこれも、市井の人々のため、それだけです。教会の権力者たちは苦手でしたけど、自分を自由に動けるようにしてくれた上司(ちなみに母方のじいちゃんでした。笑)が助けてくれたりうまく根回しして応援してくれたりと、私としては上手にやっていました。そんな中で、このどうにもならない、そしてすべての人間の中にある愚かさの極致が人を無残に殺していく、17世紀にもなって人間はまったくアクァっていない!そんな現状を見て、考え直さざるを得なかった。本当に「人のためになる」とは、一体何なのか?自分を置き去りにすることではないのはとっくに分かっていたので、この時代の私は最大限、人生を謳歌していました。で、それでも、さらに考え直さざるを得ない。と確信した結果が、今回の私の人生につながっています。そこから生まれた私の揺るぎない一つの信条が、すなわち「芸術」だったのです。

この過去生のことをクリアに思い出した同時期、「芸術は人類への奉仕であって、自己顕示欲や自己実現のためではない」という言葉に出会い、あ、私が思っていたことは真実だった。と確信しました。私にしてみたら、スピリチュアルの仕事って、自分の欲でやってるんです。わがままというか。私が個人的なリベンジがしたくてやってる仕事。なぜならあの時代、魔女狩りに遭った人たちは、正しい教育をすることで救えたはずだった。でも、できなかった。だから今生、そのリベンジで、魂と人生に関することを教える仕事をしてたりするんです。これも、私の中ではとても大事だったので、今に至ります。

そして実は芸術こそが、本当の奉仕なんです。つまり、芸術は「この世界は美しい」という讃歌でしかないから、なんです。無私の奉仕は、芸術の方なんです。

これで、私の中で、全てが符合しました。私が感じていたことは、すべて根拠のあることだった。

人間の愚かさに絶望して、それでも絶望という選択肢はないという私の深い確信が、この人生という確信へつながったのです。

と、いうわけで!

善は急げということで。フランス語を10月から、習い始めました。もう、アルファベットすら読めない段階だったので、いつもなら個人の先生を探すのですが、もうこれは…学校行った方が絶対早いよ…。。と思ったので…。

正直大変なんですけど(前世が文盲とは言わないけどあまり読めてなくて喋る専門だったみたいなので、今の「文字を読めるようになりながら喋れるようになる」という主義と合致しないんですよね…。昔の私に聞いても「なんとなくだ!なんと!なく!」と脳筋な発言をされるので参考にならない…w)、週二回、コツコツ通って、ううっ…て言いながら、頑張ってるところです。少しずつ分かってくるのは楽しくて、今は本当、幸せ。あんなに好きじゃないと思ってたフランス語の音も、思い込みが取れてスッキリしたら、まるで歌みたい、本当にきれいだなぁ…と感じてます。全然違いますね…!

そして本業の方も、心強い友人に力になってもらって公式インスタを始動させたり、進出のための具体的な手段のための準備を少しずつ着実に、始めたところです。

あ、絵とか興味ある人いらっしたら、インスタ見てみてね。@yukikotaimaです!名刺がわりのポートフォリオ。これからちょこちょこ絵を入れたり入れ替えたりして動かしていきます。

まー、そうやって「自分の人生をこれから本当に生きる」とやっと決心することができて、実際に動き始め、そのためにとフランス語の学校に行き始めた、その瞬間って感じですよね。チェコに引っ越して早6年、一切なかった出会いがあるっていう。なんだよ。早いんだか遅いんだか分かんないよ。。彼氏いなかった歴含めるとそれはまぁもうすごい長さなんですけどね…。とりあえず、相手もマイペースっぽいので、ちょこちょこ会ってのんびりデートを楽しんでます。ワイン飲んで喋って帰るだけ、みたいな感じなんですけど。(笑)

ただあまりにもこういうことがずっとなかったので感覚が分かんなくて、最初はけっこう…動揺しました…。。今は「とりあえずマイペースに楽しめばいいか」てなったんですけど、ちょっと動揺したよね…。自分の中にある思い込みみたいなのを今一度リセットするのにちょっと苦労した。。(まだしてる。笑)デートする相手もいなかったこの長すぎる年月って何???ていう速度だったけども、まぁこうなるだろうことは分かってた…。はぁ…(?)

というわけで、コメントとかでみんなの恋愛話とかも聞かせてね!まってるぜ!🖐(あらぬ方向でのシメ)