オラクルカードはっけん日記リターンズ

オラクルカードの使い方や解釈の仕方のヒント、及び筆者の実際のスピリチュアル体験を記録がてら綴っています。

去年までの目標/今年も続行の目標

4年前頃からなんとなく、新年に「書き初め」をしていました。

その年に何を目標にするか、というのがむらむらっと湧いてくるのを文字にして、寝室の壁に貼っておき、いつもなんとなく見返して気合を入れ直したり、そうだなぁ〜と思ったり。

また、目標以外にも「標語」を書いて壁に貼っといて、そのことに気をつけながら日々を過ごしたりっていうのもあって、その標語も、すっかり終わったなと思ったら剥がし、まだこのクセ残ってるなーと思ったら貼ったままにしてありました。

2017年に過去の自分がサヨウナラしたことはなんとなく前までの記事に書いたと思うんですが、本当にすっかり変わりまして、ずっと貼ってあった自分の悪い癖を正す標語は今、まったく必要なくなりました。クリアしたのです。

最後まで残っていた二つが、こちらでした。

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「思いっきり絵を描く」は、どうせ描くならもう思いっきり全部振り切ってどかーんと描け!みたいなこと。

イラストレーション勉強中にたくさんつけてた足枷を外すのに、丸2年以上かかりました。その創造性の足枷を取り外すために、この言葉が必要でした。自分の創造性を100%出せるようにとにかくありとあらゆる足枷を取り外す精神的努力をしたおかげで、絵を思いっきり描かないで一体何を?というところまで完全に戻せたので、お役御免です。

「未来を勝手に決めつけない。」は、どうしても過去いままでの自分に起きた出来事などをベースに悲観的に考えたり自分の将来を限定してしまう思考のクセがあることに気づき、それで気分が盛り下がってしまうことにも気づいたので、とにかく「未来はいい意味で自分の思い通りにならない、だから大丈夫なんだ!」と言い聞かせるために貼ってありました。実際、すべての出来事は私なんかが想像していた可能性のはるか上をドビューーーーーン!!!!と飛び越えていって、毎回、うおおああああすげー!!!!て言いながらのこの期間だったので、これを見るたびに、悲観しても意味がない、これから未来は変わるんだから!と言い聞かせ。そして実際に本当にそうなっていきましたので、もう壁に貼っておく必要はなくなりました。身につきましたね。

いやぁ、長かったけどお世話になった、最後の二つ。

ちょっと感慨深かったですが、えいやと剥がしてさっさと捨てました。ハハッ( ´ ∀ ` )そんなもんさ

そして、これは去年のお正月書き初めでしたが、これは今年もいい意味で続行です。

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友達に借りた仏教の本に載っていた語句で、相手とお互いに心を開き、腹を割ってありのままに話し合い、感じた気持ちに素直に動いていくことが肝心だ、みたいな意味だったかなと思います。「禅ビジネス」という本に出てきた言葉で、このようにしていけば、勝ち負けではない良い関係ができあがっていくのです、と締めくくられていて、私もそう思ったし、そのようにしていこう!と決意したのが2017年の頭。

まさに今、そのような環境になることができたのですが、このマインドをきちんと保って素直に動いてゆきたいので、今年は新たに書かずに続行ということにしました。

余談ですが、この「勝ち負けではない良い関係」とは、私がビジネスや生き方、あり方、全てのクオリティーに求めるものなんです。で、それが当然であり、自然なものだと信じているからです。

ところがまぁ周りを見渡してみれば、何もかも勝ち負けでしか判断できない人や、何もないのに喧嘩腰の人、いくらでもいますよね。マウンティングを取り合う友人関係とか…。いやそれ友人じゃなくね?と思うんですが、本当に多い。かくいう私もごく身内にずっといましたので、まぁ身近にいましたね、常にそういう、嫌悪する人が。

なんですけど私はなにしろ筋金入りのお人好しであり、さらに基本的にはバイタリティーがある人が好きなもので、「そういうガツガツしたのも必要なのかなぁ、私にはないなぁ」程度にしか思っていなかったのですが、ここ数年、自然とそういうものに吐き気を催すようになりまして、まぁ、距離を取るようになりまして。

そうしたら自然と、愛と本気と実力で動く、落ち着いた人たちにどんどん出会ったり再会したりすることができ、私が信頼する人たちは彼らとはまったく一線を画していることも理解でき、マウンティング族が全く自分に合わないということがつくづくよく分かりました。あとバイタリティーと、ガツガツの対抗心を燃やすしかできない人間とは全く別だということもよく…分かり…。。なんとなくで受け入れちゃってたんだけどよく考えたら全く別の人種やんけ!てなりました、はい。

そしてそれでも恐ろしいほどのお人好しなもので、会わなくなった友達にちょっと罪悪感を抱いたりしていたものなんですが、つい昨日、やはり「自分」という存在自体を心地よいものとして存在する、ときちんと意識ができている、価値観の合う友達と久々に会って、マウンティングを取りたがる共通の友人たちへの違和感や不信感の元となった出来事を話し合っていたら、あ、なるほど。てなったんです。

彼らを人間だと思っていたから違和感があったんだ。

そう。彼らは

マウンテンゴリラならぬ、マウンティングゴリラ。

そう、ゴリラだったんだ、と。

なんかこの結論に達したらとにかくどえらく納得していまい、全く躊躇なく過去の清算をすることができました。気持ちの上でも、データの上でも、全て掃除ついでにザザザーッと消去して捨てて、ハァーーースッキリ✨

私に関係のない種族の人たちだったって分かっただけで、このスッキリ具合。理屈では分かっていても、ハートではどこかまだ、自分の感性が正しいかどうか確信が持てなかったのだと思います。

が、同じ感性を持つオープンハートの友達がまったく同じことを言ったり、追体験か?というほどの同じ酷い体験をしたのを聞いたことで、あっ、私、正しかったんだ……。そういうことか……って、ハートでも理解できました。

自分が心から信頼し尊敬できる「同族」の友達を見て我が身を振り返ってみたら、あれ、私も同じか!ってなる体験を元に、完全に機能不全だった自己愛と自尊心の機能がやっと修復されたという気がします。これ長かったんですよ、多分6歳以降ぐらいから徐々に破綻し、16歳ですでにほぼ崩壊してたんで…。長かった〜。(この話は気が向いたらまた別で書きます)

ハァ〜〜〜〜〜〜〜めでたし、めでたし。✨( ´ ∀ ` )✨

マジでめちゃくちゃスッキリしました……。

また更新します!

🌙