オラクルカードはっけん日記リターンズ

オラクルカードの使い方や解釈の仕方のヒント、及び筆者の実際のスピリチュアル体験を記録がてら綴っています。

全体主義と個人主義、相対評価と絶対評価

全体主義、個人主義、相対評価、絶対評価。この4つの概念は、当然ながら全てバラバラの個々の概念です。

しかし、人は無意識のうちに、これらをごっちゃにして暮らしています。

このごっちゃごちゃが、例えばオラクルカードのメッセージに触れた時などに、「???」となったり、誤解の元となることが多いですが、ここは健全に正確に捉えなくてはなりません。

ヨーロッパに引っ越して6年目。

今明確に分かったアジア人とヨーロッパ人の根本的な違いは、全体主義社会であることと、個人主義社会であることです。

主義といっても、もう人間自体のエネルギーがそうなっているので、変更のしようがないんです。

日本〜東南アジアぐらいまでの人間には、最初から「全ては一体のものである」という感覚が備わっています。個人個人が明確にはっきりと分離しておらず、ごちゃっとして、エネルギーが容易に混ざりやすいのです。その分違和感が少なく、馴染みやすかったり、上下とか善悪とかの概念すらも、一つの「大いなるもの」の中に含まれるものである、といった感覚があります。(これは宗教や哲学ではなく、「肌感覚」としてDNA自体が持っているものの話です)

ですから社会は当然、そうした形成をします。多くの人数がせせこましい地域にひしめいて暮らしていられるのはそのせいでもあります。気候が比較的温暖で暮らしやすいので人が増え、譲り合っていった結果そうなったとも言えますし、体格も小柄でマイルド、エネルギーもそうです。そして「渾然一体」の感覚が常にどこかにあります。

こうした社会の中では、「個人性」を強く保つことは意外に難しいこととなります。どこかで必然的に、個人を犠牲にするのが当然、全体でなんとなく意思を決めようその方が全体の幸せにつながるだろう、といった方向に行きます。その方が安心でき、動きやすいからです。

かたや、ヨーロッパ。個人主義とは何ぞや、という話ですが、まず「個人個人が完璧に絶対的に違う個体である」ということを、全員が承知しています。エネルギーはまったく混ざりにくく、ちょっとやそっと接触したぐらいではエネルギーがごっちゃになることがないので、スキンシップが激しいのはおそらくそのためです。個人個人を隔てる防御壁が生まれつき厚いので、逆に言えば個人個人の精神的安全は保たれやすく、何をしようが全てその個人の責任となるため、「赤信号を皆で渡れば怖くない」という発想は非常に生まれにくいです。(地域差や政治的バックグラウンドでも詳細は変わってきますが、基本的にという話です。また、いざ大人数での動きとなると、突然アジア人以上に結集して戦に向かう面もあります。)基本的には、赤信号を渡るリスクを背負うかどうかの判断能力や解決能力は全てその人個人によるものなので、常に「自分にとって、これはどうであるか」という認識があります。0と1は全く違う存在です。白と黒はグレーになりません。わかると分からないが存在し、その中間の存在はかなり曖昧です。曖昧なら曖昧で「曖昧である」という状態がはっきりしてる、といった具合です。

私は基本的に生まれた時から個人主義で、他人からの評価よりは自分がどう思うかの方が大事でしたし、他人の意見は聞くけれど参考意見であって自分のではない、という、わりとはっきりした人間でした。なので、ヨーロッパに来てからの方が正直、落ち着いています。普通に自分が自分でいられる、という感じです。

ですが、そんな私が日本で生まれ育ったことが大事で、そんな私が日本人であることが肝要だとも強く感じています。そうでなければならなかったとすら思います。本当にこの運命には感謝しています。

なぜなら、両方を知った上で、このことを言えるからです。

日本が全体主義であることは、素敵なことです。(日本がというよりアジア全般ですが)

そして、全体主義であることと、個人主義を成立させることは本来、矛盾しないはずなのです。

なぜなら、個人が一個人としての自覚をしっかり持ち、自分の人生は自分のものだと理解して生き、選択し、生命を輝かせて生きることと、お互いの違いを思いやり、現在とる方向性は今のベストの妥協案でいく、という全体主義の動かし方は平和を生みますし、この二つは普通に両立可能なはずなのです。

今の日本人の状態にちょっと疑問を抱くのは、このベースがガタガタになっているこの時代だからこそ、です。

全体主義の名の下に、突然理想論を語り出したり、かといって「個」というものがあまりにも全体主義で語られる「社会」と切り離されすぎていて、その位置関係の健全な認識すら不可能なまま暮らしている人が多い気がします。全体主義であることを相対評価として「世間様が許さないから」と言ったり、人間が下すのなんてたいていの場合は完全な個人の思い込み、いわば絶対評価であるにも関わらず(つまり健全な相対評価を下せる人の絶対数が未だ少ない)、それを「社会はこうだから」とまるで代弁者のように振舞ったり、それを真に受けたりすることの繰り返しがなくならないのです。言う側も言われる側も、同じ誤解をしたままだから、ごっちゃになるのです。

こうして基本的に、あなたはあなただものね、と許容する素地が少ないのです。

これは相当なストレスです。一人ひとりが違うことを、これでは逆に受け入れることができません。ですから、自分が人と違うと感じたとき、それをプラスに受け取ることが難しい繊細な人が必ずいるのは、当たり前のことなのです。その人がネガティブだからではありません。なんでも都合よく受け取れる人のようには無神経になれない、というだけなのです。

詭弁を弄する人間に騙されないでください。彼らは自己弁護をしているだけです。

健全な社会は作れます。個人主義と全体主義は必ず両立できます。もしそれができたとき、それはとてつもないアドバンテージになります。

全体主義は、肌感覚です。逆に言えば、それを生まれ持っているアジア人の私たちの幸福感がそこへ到達するのは、ヨーロッパの人たちよりも容易かもしれないのです。(これは海外の瞑想CDなどを聞いていると比較的よく聞くフレーズでもあります)

今こそ、個人主義であることと、個を成立させるが故に真の全体主義の実行が可能であることを理解するべき時代が来たと思います。

オラクルカードに触れている人は、そこのスイッチをポチッと押されたようなものです。

あなたにとって、それはどうなのか。

他人にとってではなく、自分はどう思っているのか。

自分はどうしたいのか。

その上で、それをしたら、周囲の人たちへの祝福にもなり得るのか否か。

やりたいと思ったら、素直にやる。何かを学んだら、また試す。自分の人生を、生きてください。

その過程で常に、カードなどを活用し、天使や自分のハイアーセルフを交えての「自分内三者面談」を続けて、それを確立しようとしてみてください。

偽の全体主義から一度解き放たれたら、ずいぶんと楽になります。

人生は自分が選択して変えていけると知るだけで、周囲にあった全ての偽物のメッキが剥がれ、一切の価値を感じなくなります。

それまで、マイナスのエネルギーのコードをカットし続け、浄化をし、自らを知り、自らを旅するのです。

生きることの本物の価値を感じるために、オラクルカードは使えるのです。

今年もよろしくお願いしまーす。( ´ ∀ ` )(急に緩くなる)

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