オラクルカードはっけん日記リターンズ

オラクルカードの使い方や解釈の仕方のヒント、及び筆者の実際のスピリチュアル体験を記録がてら綴っています。

自分と、他人と、神の領域のバランス

ついったで話してたり、占いとかやってて、最近のいろんなことを見ながらふと、思ったこと

人間には、例えば「心身魂」とか「インナーチャイルド、親、賢者の老人」とかの3つのくくりがあるっていうのを講座でも教えてるのだけど、意外と大事なのは

「自分」「自分以外の人」「天」だと思うんですよね。

この3つは、それぞれ、その領域にしか癒したり救ったりできない大切な機能があります。

自分を救えるのは自分だけ、という部分があります。

これは、自分を好きになること、自分に自信を持ったり、自分が信じることを貫くことで道がひらけてきた時に初めて感じる喜びと確信だとか、そういうものです。これは他人がいくら自分を褒めてくれても、いくら自分を慰めてくれても、自分が自分を認めないと、そして認められるように行動しないと永遠に癒されない部分で、他人に褒めてもらいたくて依存してしまう人も多いです。が、そもそも、それは自分がそれを認識し、自分を愛し大切にすると決めなくてはいけないことです。

自分にしか分からないことややりきれない気持ちをどうにかするには、ものを作るのが一番です。芸術です。絵でも、音楽でも、ねんどでも、料理でも、手芸でも、なんでもよいです。カラオケに行って歌いまくるとか、一日中取り憑かれたように編み物してるとか、そんなのもそういうことの一部です。私は、やりきれなくなったら、絵を描くしかないです。絵にしか解決できないことがあり、描く期間をしばらく設けるといつのまにかスッキリします。

芸術は、人間の混沌を受け止めて、良い悪いではない世界に連れていってくれて、次のチャンスやステップにも導いてくれます。人間の根本は創造性だからなのだと思います。

次に、「自分以外の人」これもすごく大事です。

人は絶対に一人じゃ生きていけません。愛する人、反対する人、分かってくれる人、ぜんぜんわかろうともしない人、関係ある人ない人、いろんな人がいることが大事なんです。

そして、一人で思い悩んでしまった時や、天から持ってきた使命が辛くてしんどくて重たいとき、人として生きる苦しみや重荷を分かち合えるのは、地球に一緒に生まれてきた、周りの人達だけです。

人間の輪、人間関係における分かち合いは、もっと積極的に使うべきです。

信頼できる人に、弱音を吐き、痛みを打ち明けて、相手の意外な強さや優しさを発見して驚くこともあります。思いもよらない独創的な解決方法が待っていることもあります。

人を傷つけるのも人だけど、人を救えるのもまた人で、みたいな格言がありますが、本当そうだと思います。

例えば聖書なんかでも、神さまは助けは人を通して遣わすから、人に注意していなさいと言われています。人間って、大事な存在なのです。

ただし、絶対に依存してはいけません。人にはいろんな時期があり、すれ違うときもあり、一致する時もあります。でも、それでいいのです。お互いがあるがままであることを受け入れ、許し、その中でちゃんと一緒に語らえる「人」がその時用意されていることを知って、喜んでください。

そして、「天」です。

人間にはそれぞれの天命があり、皆、必死で生きています。皆、自分の人生を生き抜くことが第一です。人の頭や心は万能じゃありません。いつも慰めてくれる人が、手一杯でどうしようもないなんてこともよくあるし、いつも分かってくれる人が、今回は全然分かってくれないなんてこともあります。人間には、自分のキャパ以上のことは理解できないからです。自分の巨大な孤独を、人間には扱いきれない、そんなことだってあります。

そんな時は、天と話す時なんです。天使や神さまに話しかけましょう。人知を超えた存在に助けを求めて、保護してもらい、羽を休めて作戦タイムを取るんです。これは、自分はもう変わるしかないのだ、というとこまで追い詰められた人ほど、その有効性が分かると思います。天は時に厳しいようなことも言いますが、よくよく聞いてみれば至極真っ当なこと、そして本当に今前に進むために、このつらい場所にいつまでも留まらないように、これ以上自分が自分を傷つけることのないように、そのために言ってくれているのだということが分かります。自然で真っ当なステップ以外に、最も信頼できる変化などないからです。(突然で都合のいい展開は大抵目眩ましで、すぐに失望することになり、落ち込みが深まることが多いです)

天の言葉をちゃんと理解するにはコツが要ったり時間が要ったりします。自分を知らない人ならなおさら時間がかかります。即効性だけに頼らず根気よく、長期的に取り組むと吉です。その時期は、無理に自分の領域だけでやろうとせず、他人の言葉に頼ろうとせず、ちょっとフワッとさせたまま作戦タイムと癒しが終わるのを待つほうがよいです。

人とも関わりましょう。

自分と向き合って癒やすことも、やりましょう。

神と対話することも、やりましょう。

お気づきでしょうか。

このどれが欠けても、人間はバランスがちょっと崩れるのです。

神、つまり直感を通して、直感を自分の全身に流れ込ませていく過程をやらないまま一生を生きるのは、たぶん無理です。直感や野生の勘は、常に自分を正確に導いてきました。このコンパスはこの上なく正確無比なのです。どんな人でも、それは体で、感覚で知っているはずです。スピリチュアルに限った話じゃありません。

それから、人とかかわらないこと、人に助けを求めないこと、人を信用しないことも、無理です。そんな人が生きていくのは、物理的にも心理的にも、無理です。人に心を開いても、いいのです。

そして自分で自分を癒すこと、認めることをしないで生きるのも、無理です。いえ、もしかしたら、可能ではあるのかもしれません。ですが、大体、ひどいものです。神も他人も、自分に対して自分が開くことをしない限り、本当には働くことのできない機能だからです。責任のない人生を、これからどれだけ生きるつもりなのでしょうか。そんなことをして、自分が傷ついていないとでも、思ってるのでしょうか。それは駄目です。無理なのです。だけど、人はいとも簡単に、責任を投げ出しても大丈夫だと言わんばかりの行動を取ります。その人の自尊心は傷ついていますが、自覚がないのです。

そう、一番むずかしいのは、「自分」の項目だったのです。

これが一番、色んな人にとって難しいことなのです。

私のブログはいつも、スピリチュアルの話をしながら「スピリチュアル以外のことをもっと意識してください」という書き方になります。それは、これが理由です。

WHRでやっていることも、必ず「自分にフォーカスするお手伝い」と言います。

恐くないよ、大丈夫だから、手伝うから、やってみよう。と問いかけます。

どんな正確であたたかいメッセージも、その人が自分に自分を開いていない限り、全部ニセモノになってしまうからです。

でも、それを理解できない人も、大勢います。そういう方に出会うと、残念な気持ちにはなりますが、そういう方が大勢いらっしゃるのは知っているので、何もして差し上げられないのだなぁと思って、終わりです。

勇気をもってやろう、やらないと人生は変えられない。そこまでわかってる方になら、そういう方となら、いろいろな試みはどんどん、うまくいくものです。

このことは難しいことかもしれません。

でも私はこのことを、この仕事をしてる限り、一生言い続けていきたいと思います。