オラクルカードはっけん日記リターンズ

オラクルカードの使い方や解釈の仕方のヒント、及び筆者の実際のスピリチュアル体験を記録がてら綴っています。

愛と怒り、リスクと可能性

なんか「発信する」という作業って、一度やらなくなるととことん分からなくなるような…!

今日は気軽に書いてみるかな。

写真も色気もない記事ですが相変わらず。笑

ここ数ヶ月の変化の間に、自分のことがいくつか分かりました。何かとても重要なことが。

たとえば、私は何よりも「愛がある人」に惹かれるし、人間として最も大事なことはそれだと思っていること。

特に、「成熟した愛」の持ち主を好むようです。

成熟した愛っていうのは、一時的な、ギャーピー言う愛じゃなくて、その対象のことを深く愛し、じっくり取り組み、時にはその愛のために怒ることもでき、対象と自らをさまざまな角度から検証し、その愛の中で自らも人として学んでいく、というタイプ。そういう人には無条件の敬愛を感じます。

それは人相手でも、もの相手でも、一つの道が相手でも、同じです。

この価値観が、思い出す限り、小学生から変わっていないのは確かです。

中学生頃からはっきりとした「思想」が自らの中に芽生え始めたのですが、その頃から、愛情深い友達はとりわけ大事にしてきました。バカでも不良でも、愛情が深くかつ適切なタイプは分かります。人のケンカの仲裁のために、身を投げ出して止めに行くような子には無条件の愛を感じていました。中学校の時のその同級生と二十歳超えてから会った時、最近の彼氏との話を聞いたらまったく変わってなかったので笑ってしまったのはいい思い出です。笑

愛のある人は必ず人に恵まれるので、心配してません。

関係あるようなないようなですが、「怒り」というのは愛の深さを知るのに意外に大事なファクターだと、最近改めて気づきました。

適切に怒れる人、何かのために怒れる人というのは、意外と少ないんです。

自分の癇癪や、恐怖を隠すためにキレる人なら掃いて捨てるほどいますが、何か大切なもののために怒り、立ち上がる力に変えられる人は、それほどいないんです。

友人と会って、とある出来事について話していたとき、静かにそして確かに「私は、この現状に対して怒っている」と話してくれたその人を見て、何か、私も深く、感動しました。怒ってくれるんだ。怒ってもいいんだ…と。

もちろんそれは、誰かをヒステリックに批難することではありません。大人なので、もっとうまくやります。(笑)というか真正面切って、作品で勝負して勝つことで、その怒りに打ち勝つのです。

私が敬愛するのはこういう人達だなぁ、とその一端を再び見させてもらいました。しかも、一緒にものごとを行うことができるのが嬉しいです。

この価値観は、私にとって多分、一番大事なものです。

そういう、自分にとって一番大事だと思うものを、もっと意識したいと思いました。

大事なものは、言葉では言い表せません。

言い表せないということを知らない人は、愛の浅い人ですが、そういう人はごまんと居ます。

彼らにいちいち失望していたらキリがありません。

人間に期待してしまうのが、私のよいクセなのか悪いクセなのか分かりませんが

そんなことはともかく、自分の生き方を貫くだけだな、と思います。

人間には限りがあり、限界があります。できることは限られています。

私はこの限界に対して、この数ヶ月で折り合いをつけさせられたのだ、と思っています。

ずっとつけたかったのです。自分に自信がなくてつけられなかっただけなのです。それを今、つける時が来ただけのこと。

この限界を受けいれ、自分がやりたいことをやるために他のことを犠牲にしなくてはならないリスクを引き受けることで、1つしか取れないその人生の目的から、自分が手に入れるべき必要なものは全て与えられるのだから、自ら10を得ようとリスクを拒否するのはおかしいのです。言葉にすればこれだけのこと、でもこれを実際に覚悟するには随分かかりました。

リスクを取る、という言葉は、何かちょっと恐ろしいような印象があります。オラクルカードにもよく出てきますね。私もちょっと、恐ろしいな、と思ってきました。

でも実際に理解してみると、なーんだ、という感じでした。。

取るべきリスクを100%負うと決意すれば、複雑に絡まったように見えている糸は、いっぺんにほどけてしまう。

私が見出したのは、この方法でした。

生きていれば自然とそういうことも発生していきますから、どこかでほどかないとおかしくなる。

自らの原点に戻りました。

なので、ここんとこは再びワケの分からない書類地獄に放り込まれたり、永遠に終わらないのではと思えるもう何度も同じことをしてる不毛なやり取りをやらされたりしましたが、笑っていられました。私の敵はこいつらじゃないし、今目の前にあるように見えてる壁や困難はじつは私の困難ではない、と気づいたからです。これは、神さまが仮で私に渡した、単純作業のようなものです。それがどうなろうが、どうとでもなるように、神さまが作っておられるので、私は任せっきりでいて、ただ目の前にあることを一生懸命やっていればよいのです。

もう既に、いくつもの問題が起こりましたが、その度に恐ろしく奇跡的かつ非常に常識的な方法で、色々なことが解決していきました。私はただ、笑っていただけです。自分の責任ではないもので悩むのは、やめました。私の責任はただ一つ。全力で楽しんで絵を描き続け、人さまのお役に立つことです。それを材料にして、絵を描けばいいのです。

結論自体はシンプルでした。

私は今日も、絵を描いてて、生きていて、幸せ、ということです。

あっそういえば、例の歯の激痛ですが、あのアファメーションで3日でほぼ痛みが消え去り、今はつかれた時や体力が落ちた時に、寝る前にわずかに痛む程度になりました。今は右側が痛むんですが、その直前までは左側の治療した歯の神経が同じ状態になってて半年以上普通に神経染みてたので(神経抜いた歯なのに…!)、今回も長いのかも…。もっちょい元気出たら歯医者にも行きます。

かゆみはまた別のフェーズに移っていて、左くるぶしがひどく悪化してしまったかわりに全身のかゆみは収まるという…。いや駄目だろ…。。どうしたら。。てなってて、月末にホメオパシーの先生のとこに行くことになりました。漢方や鍼なども併用している先生だそうで、私のイメージしてた「総合医」の感じに近い予感がしたので、ずっと親友のかかりつけ医であるその人の診察をとにかく一度受けてみようと思いました。ヨーロッパに住んでいる以上、日本にいるときと同じ対処法では限界があると感じているのです。人生初ホメオパシーですが、ヨーロッパでの解決法はこれしかないのでは…と今予感しているところです。それまでは、引き続き自分と丁寧に向き合いつつ、悪化させないように努力しまする。