オラクルカードはっけん日記リターンズ

オラクルカードの使い方や解釈の仕方のヒント、及び筆者の実際のスピリチュアル体験を記録がてら綴っています。

レムリア続報 / 右脳の解放

前回の記事を書いた直後にお風呂入ってレムリアン式の「祝福」をしたお風呂で、「人魚だった頃の自分」を呼び出してみたら、すぐ来てくれました。それはそれはもう、ずーっとそばで控えて待ってたとしか思えないぐらいの速度で来てくれました。

名前は?と聞いたらこれまた間髪入れずに「ユリア」と。

その名前を聞いて、また待たせてしまっていた。と思いました。

というのは、5年以上前、まだ私が東京に住んでいた頃、守護天使に名前を聞いたら「ユリア」と言われたのです。

ですが、なんか天使じゃないような気がする…?と思って、その後、また忘れてしまいました。

彼女は確かに天使ではなく、そして私が今レムリアや人魚のことに気づくまで、ずっとそこにいてくれたのだと思いました。

ごめんね、待たせちゃったね。と話しかけると、いいのよ、今だったのよ。ヴルタヴァさんはすばらしい方ね、彼女が私達を受け入れてくれたから、私もまた再びあなたと繋がることができたわ…と穏やかに語りかけてくれました。

ユリアの綴りは「Julia」です。この綴りを英語読みするとジュリアですが、ジュリアじゃなかったんです、ユリア。これはチェコ語読みに慣れ親しむ今まで待たないと、私の理解が追いつかなかったのかもしれません。

それと、今住んでる家のこのバスルームの形じゃないと、この感覚自体がなかったかな…。足をのばしてちょっと寝る感じで入るバスタブはこっち来ないとなかなかね。

いろいろ偶然が全部重なるように出来てたのかなぁ…と改めてそんなこと思いながら、ユリアをいろいろな話をして、入浴を終えたらなんだかとてもスッキリしました。

今日、レストランでムール貝が入ったパスタを食べていて、はっ、これって人魚の食事に近いのか?と思い、ユリア、わたし今、貝が入ったパスタ食べてるよー!と言ったら、「うーん、貝の身ねぇ…うーん」ていうから、え、違うの?つったら、私はあんまり食べなかったわねぇ。と言うので、じゃあ何食べてたのって言ったら、真珠はいいわよぉ、ユキコも一回食べた方がいいわよぉ…てうっとり言われました。(笑)ルーシー・キャベンディッシュの前述の本に、人魚が細かく砕いた真珠を食物にふりかけて食べてたっていう箇所があって、えっ嘘でしょ?て思ってたんだけど、ユリアはいとも簡単にそれを認めてしまいました。しかもおすすめされた…。

…いやぁ、食べる機会はないと思うけども…(笑)

と、白くてキラキラしてて、混ぜたりするやつで、なんか、か、カルシウム?て考えてたら「あっねぇ、牛乳って近くない!?わたし牛乳好きなんだけどさー」て聞いたら「うーん、まー、うーん、そうねー」と否定も肯定もせずに笑いながら去っていってしまいました。

( ´∀`)ちょっと強引だったね。爽

・レムリアというと、なんとなく、右脳をもっと使って生きていこう、と試みを春前頃から続けてきたことを思い出しました。

コーチングも、今までは文字数が必要で文字で判断していく部分が大きかったんですが、必要最低限のデータを用意してもらうことで、むしろその人自身が流れを把握しやすいということが分かり、そちらのやり方にとりあえず統一してみるということを暫定ですが決定してみたりも今やっている途中です。

やってみないと分かりませんが、もう分析時期は去ったというムードがすごく強いので、逆に右脳へと全てを解放していくことで今までより更に豊かな世界にしていこう、という感じです。

左脳で頑張りすぎなくなると、人に甘えたり助けてもらう部分も出てきますが、それがちゃんとその人のためになったりする構造に今なっているので、改めて後で振り返ると「うわぁ、すごいなぁ」と思ったり。

なんかもう、ミラクルですよね。

あまりにも固く考えすぎてた部分があったんで、ガチガチのところってのは何せよ良くないから、ムニャムニャにしながら軸をしっかり保っていればいいんだと思うんですよ。ていう、基本なんだけど時に難しかったり忘れたり分からなくなることもある、この部分。

右脳を解放することになった理由の一つは、この冬からギャラリストがついたことで、「アーティストとして生きてもいいんだよ」という許可証をもらった状態になったことです。制作をするために右脳の感覚を戻していくため、徐々に左脳の支配領域を減らしていく必要があった、ということです。

でも、この「許可」が私の人生では、チェコに来てからずっと連綿と続いてきた状態です。それを私は受け入れきっていなくて、今でもまだ少し引っかかりを残しているような気がするんです。でも、それを完全に解放したい。リミットを消して、前に進みたい。

それと、私はもともとインプットが右脳なので、右脳を右脳のまま処理したほうが効率がよいことも多い、とまわりの「うう脳」さんたちからすごく学んだ、ということもあります。さらには「ささ脳」さんたちの世界のシンプルさに改めて衝撃を受けて、私はそこまでじゃないわーと思ったのもあります。(笑)理性では男性にかなわないわーと思った時の感覚に似てますね。なんか、私は何だかんだ言って右脳側の人間なのでは?とつくづく思うのですよ、最近。

感覚や感性で受け取ったものをなるべくそのまま世界に投げて、そこで処理しきれなかった部分を左脳アウトプット(理論や言語、体系づけ)すると、とてもスマートで集中したものにもなります。それで、今まで以上に右と左は使い分け、使いこなしていきたいなと。

右脳をフリーにさせてあげておくと、自分を縛りがちになる自分のメンタルも感性も、ほっとして、楽しそうに動いてくれるようになって、嬉しい。

私は長く自分を縛りすぎたと思う。

…でも、その縛りの時間があったからこそ、そのことに気づけたとも思う。私にはそれが必要だったということで、もう必要なくなったということで。

なるべく感性のままに生きていこう、と思う。

感覚、フィーリング、ハート、愛の領域にもっと人生の大半を占めさせないとね、この先は無理だなと思う。

極度の自己不信は脱した。自分を信じたり大いなる流れを信じることの第一歩はクリアした。

次の段階が来たんだな。