初耳だよね。
今の若い世代は少し違ってきてるかも知れないんですが、多くの大人たちにとって、「自分のままでいていいんだ」ってことって、初耳じゃありません?
私は結構というか、若干というか、回り回って普通にというか、ほんとに独特な人生を歩んでいるため、このことは本気で初耳でした。
未だに思います。「初耳だよ!」と。
親が自由業だったので、会社員になれとか、皆に好かれろとか、教師の言う事を聞けとか、そういうことは子供の頃から言われてませんでした。(笑)ので、そのへんは全く気にしてなかったのですが、私の場合はもっと乗り越えないといけないことが沢山あって、それが「どんなことであれ、やりたいこと全てが自分自身ありのままだ」ということと、「ありのままの自分でいていいんだ、社会に簡単に定義できるかどうかなど関係ない」ということ。
それは、容易には乗り越えられないハードルでした。
オラクルカードを始めてからも、何年間も「本当にこれでいいの?え?マジで??」みたいな状態。
何も分からないまま、とにかく、今やりたいと感じるなら、今強烈な情熱を感じるなら、それに従う以外に生きる意味はないんだ、ということしか分からないままそれを信じるしかありませんでした。私は抑制されたまま生きることはできなかったからです。(それはどんな人でもそうであるはずです)
そして今になって、私は「いろんな自分」のそれぞれ全てが、人の目に到底隠せないほど大きく育ち、更にそれを表面化して表現していけばいくほど自分も周囲も心地よく感じたり、恩恵を受けることができると分かってきたので、隠さなくなったのですが、
私の今の人生─例えば、ずっと続けてきた絵を描くということと社会との関わりについてや、制作そのものについてなどのこと、新しい展開や努力や喜びや苦難について。そして、全く別の仕事としてこのオラクルカードの仕事を持ち、沢山の人と関わり、活動していること。そして、ダンスをずっとしてきた人生前半と、それを再び始めようとしている今─について語ると、目をキラキラさせて「あなたは、本当に普通と違う、特別面白い人生を歩んでいるわ、分かっている?」と言われて。
それを聞いて「いや、初耳だよ!」みたいな。
というか「自分が自分でいることを、とにかくそれぞれ全力で続けることで、人が『特別な人生だ!』と感じてわくわくするなんていうこと自体が、本気で初耳だよ!」と。
私は、職業ってのは一つでなくてはいけないと思ってました。
そうじゃないと「分かりづらい」からです。
一つのことだけ集中してるように「見せかけ」ないと、世間は私を受け入れてくれないのだと本気で思い込んでいましたし、そのことに常に悩んでいました。
ですから、表向きは「これだけをやっています」みたいにすれば、とりあえず済む。と考えてました。
これが本業でこれが趣味です。みたいな。そういう風に「減らして」おけば、人は安心するだろう、と。
今思えば。。何だったんでしょうね。。分かんないんですけど、私は「自分がありのままで全てやりたいことをやっていると、人に受け入れてもらえない。拒絶される。あるいは妬まれる、そして邪魔されて悲しい思いをする」という思い込みを持っています。そりゃぁ数多の過去生の影響もあります。でも、幼少期から思い返すだけでも、その要因はいくらでもあります。
それでもやりたいことしかできない自分。そのことに悩み続けてました。いや、本気で。
そんなものに悩む必要はないということ、
やってきたことややっていること全部があなた自身なんだよ、と
たびたび、周りの人は私に言ってくれていましたが、私の耳には届いていませんでした。
怖かったのです。
とにかく。ひたすら。怖かったんです。
だから自分自身の力に恐怖していました。
情熱を押さえ込むように努力しながら、たまに少しだけ解放して、少しだけ「ほんものの」夢を見て、涙ぐんで、また仕舞い込む。
そんな生き方を。してきたんです。
少なくとも、バレエを止めてから、いいえバレエをしながら絵を描いていた頃から、いいえ、もしかしたらもっとずっと前から……。
自分が夢を叶えないことよりも
自分が世界に拒絶されることの方が怖かった。
そういいながらもやってることは自由気ままですから、こういうことを話すとわりと他人にはよく怒られてました。「今更何言ってんの?」って。でも、今さらなんて話じゃなかったんですって。。本当に。悩み事って、赤の他人には本当にバカげたことにしか見えませんよね。でも、私は本気でした。思うままに行動すれば、どうなるか分からない…。だから、いつもやりたいことやってるように見えて、実は30%以下程度に抑制してきました。更に、発想やアイディアや衝動が生まれにくいようと気をつけていました。自分でそれはよく自覚してます。本当に抑えきれない重要なものだけ、慎重に見計らいながら叶えてあげるだけ、という年月が続きました。非常に不健康な状態です。心身にその影響は多大に響き、私は体力への自信も失っていきました。社会的自信、体力的自信は消え失せ、爆弾のような精神力だけが残りました。頭でっかちの究極です。その結果、私は疲弊したのです。
そのどん底の時期からオラクルカードに出会い、少しずつ、少しずつ、自分の精神を解きほぐし、言い聞かせ、体や精神から抑制を少しずつ解き放っていきました。やっと今、仕上げの段階に来た。そういう実感があります。
な、もんで。
今、本当に心の底から思う。
「ありのままの自分でいてやっと秩序が保てるだなんて、本気で初耳だよ!」と。。
世界の秩序って本当は
人々がありのままでいることでしか保たれないのだと思います。
良くないことをする人、いいことをしたけど自信がない人、人や世界のためになること、ならないこと…。
全部に本気でぶつかって、一瞬ずつ燃えていれば、
そうすれば本当の意味で宇宙は平和に維持される、と。
なもんで、34にもなってそのことを思い知った私は
あー、もう少し若い頃にそれを知っていたら……と本気で思うのです。今までの事をやり抜いたからこそだと分かってもいます。
そして今の若い子たちを見ていると
私は無駄に汚い世界を知りすぎたのではないか?と思うほどなのです。
世界の暗部というか、自分の暗部…弱いところ…汚いところ…どうしようもないもの…腐った考え方、醜い感情、汚い行い、弱くて弱くてどうにもならない自分…それに引き寄せられて起こってきた、そして見続けてきた、数々の酷い事たち。
見すぎたのだろうかと思ってしまうほどです。
でも私の世界への思いは、ここから発しているとも思います。
聞きかじりですが、エジプト王朝時代、修行者のイニシエーションとして、本当の光を見たければ本当の地獄を、暗部を見なくてはならなかったそうです。それは人間の暗部です。そしてそれは、自分自身の暗部。暗黒。自分をいい人間だと思いたい反面、突きつけられるのは自分がどうにも救いようのないクズだという事実です。死んだほうがマシだと思っても、光がそうさせてくれない。絶望は何度味わえばいいのか、分からない。
そういう意味では、私は儀式を通過したと思います。恐らく。
まだ、リハビリしながら、残りかすをすっかり掃除して、本当の強さと優しさを手に入れるために、日々自分の弱さや思い込みと闘っていますが
だいぶ回復した方だと思います。
かといって
闇が全部なくなるとかそういうことじゃなく
半々、中庸、中道、
闇と光のど真ん中へ、センターへとポジションすることこそが
ある意味でのゴールだと思います。
そして、人間である以上、完全に真ん中に居続けるのは難しい。(それができた人を悟りや解脱等と言うはずです)
できない以上、死ぬまで在る程度の揺れ、ゆらぎ、ゆらめきをきちんと自分で観察し感じ、じっくりと味わいながら、前に向かって進み続ける日々なのでしょう。
悟り。光。簡単に言いますけど
地獄を見る勇気を持つ人間にこそ与えられるものだということも覚えておいて。
私たちは地獄との付き合い方も、覚えなくてはなりません。
地獄を持ってこその光です。
地獄を見る勇気のない人に、本当に理解できるとは思えません。
ですが、一度見た人ならば、
一度どころか、今までの人生は地獄しかなかったとすらぐらい認識している人ならば
分かるはずです。
地獄はなくならないけれど
それでいいのです。
全てが、私たちなのです。
そしてそれを生み出した宇宙が、私たちを永久に愛しているのは、当たり前のことでも、あるのです。
突発的に別エピソード。(いや、宇宙繋がりかな?)
見てー、ブルーフローライトも入ってるんですこの子…。ほんとに地球みたい。
んで、この子をチャリスウェルで買ってずっと握りしめてたらね
鼻水がピタリと止まりましたね。
…あれ?この話、もう書いたかな?(笑)全然覚えてない(´ー`)書きたくなったので書きます。
多次元の旅を続けてたので、感情も記憶もダダ漏れだったらしくて、ほんと鼻水止まらなかったんです。ポケットティッシュが間に合わなくて、常にトイレットペーパーを折り畳んだものをポーチに常備してたぐらい鼻かんでました。
が、この子をにぎにぎして、うぁ〜なんてきれいなんだ、わ〜‥と言いながら持ってて
20分ぐらいした時。はたと気づきました。
あれ、この子買って以来、鼻水出てないぞ。
試しにカバンに仕舞ったら、あっという間に鼻水再開。
手に持ったら、またすーっとストップ。すごい。
ずっと持ってもいられないので、仕方なくジーンズのポケットに入れておきましたが、その間も鼻水はナチュラルに止まっていてくれました。
オーラをだいぶ守ってくれたのでしょうかね。ありがたいことです。
エネルギーが拡大してる時、緩みすぎてフワーてもなるんだと思う。
その時期に再び、私がクリスタルに目覚めたきっかけになったフローライトに出会ったのは
本当に必然なんだと実感しました。
不思議やね!(´▽`)