過去生の旅 inマケドニア③
この旅、キリがないので(思い出がいっぱいありすぎる!)、とにかく過去生に関する部分だけ書きますね。
次の日からは、とにかく毎日、歩いて歩いて歩き続けました。
基本的には、私が好きだったこの人生の時の「あの風景」を探して、歩いていました。
川縁の風景だったので、この街の中心を流れる、そして中心である河のそばを歩くようにしていきました。

そして滞在最後の日、私はとてつもない田舎町を歩いていました。
外国人が来ることが珍しすぎて「写真撮ってくれ!」って地元の高校生に本気で何度も声をかけられて、仕方なく応じたほどに珍しかったようです(笑)
私はこの時どういうわけか何度も中国人に間違われ、ほぼ全員がマケドニア語しか話せない中でたまに英語がうまい高校生もいて、彼女が「どこから来たの?」と聞くので「日本だよ」と答え、マケドニアはどう?初めてなの?うん初めてだよ、私はとてもここのことが好きだよ、などと答えつつ、他の子たちとの記念撮影に答えつつ(笑)もう、こっちばかり写真撮られてるのが変な気持ちになってきたので、こっちも撮ってやれ!と思い「私も君たちの写真撮っていい?」と聞くと「いいとも!」と言って、ポーズをとり、こう言われました。

『We love Chinaー!』
いやわたし日本から来た言うたやろー!(´▽`)ノ
私の話聞いてた?(´▽`)
無邪気でかわいかったです。(笑)
と、話が逸れましたが…
何もない町です。いや、村かな?
本当に、何もない場所。

八泊九日の滞在中、本当に毎日毎日、スコピエ近辺を歩き回りました。
山の中、川縁、町の中…
そして最後にこの辺境の町にたどり着いて。
こんな何もない所なのに、歩いているだけで不思議と心が安らぎます。
そして、何もない町を歩いていたからこそ、気づいたことがありました。
それは、この国の人の笑顔を見るだけで、心が浄化されていくことです。
町で、山で、ホテルで、彷徨い込んだ村のおばあさんと話して道を教えてもらったとき(もちろんマケドニア語で。笑)、案内をしてくれたタクシーの運転手のおじさん、レストランで、偶然迷い込んだ田舎で、手当に行った病院で…。いろんな人に親切にしてもらい、明るい笑顔をたくさんたくさん見ました。
そして、皆の笑顔を見て嬉しくなるのが、よそ者が旅行者として来たからという嬉しさではなく、「あぁ、みんな元気だ。よかった。この国は幸せになったんだ」という、心の底からの…いえ、魂の底からの安堵感だということに、この田舎町を歩く中、気づきました。

今回の旅、ふらっと初めて来た旅行者としては「隅から隅まで」といっていいほど、歩いたと思います。殆どあり得ないエリアまで。
そして、その「人々の笑顔」を私は見に来たんじゃないか、と気づいた瞬間。
過去生の、マケドニアに、スコピエに生きた「彼女」が、ふわっと私の左側に来て、腕を組んで、一緒に歩き出したのです。
そして、
ほんとうにもう充分よ。
と言ってくれました。
よく歩いてくれた。見たかったもの ─ 人々の現在の暮らしと、戦争時代を遂に抜けたこと ─ を見ることができて、本当に嬉しかった。
もう私は、自分を責めるのをやめましょう。
だって、こうしてみんな今、幸せに暮らしてるんだもの。
と、言いました。
ここまで本当に色々なところを探しまわり、わたしの「原風景」はもう今のこの世には存在していないことにも薄々気づいていましたが、歩いたのは無駄ではなかったとも分かりました。彼女が生きていたとき、本当にスコピエだけでなくこうした地方にも「友人」がいたので歩いて来ていたそうです。
彼女の、天使と話し、助言をする活動は、決して自分の近辺だけに留まるものではなかったことを、この時初めて知りました。
だからこの国の人や未来のことが、本当に心配だったんだね。。
初めて、彼女のことをもっと深く知ることができました。
まさかこんな風にしてここにまた来れるだなんて、神さまじゃなきゃできないわ、と感慨深そうに言ったのも印象的でした。
今の時代、飛行機でどこにでも行けるようになりましたから、それこそ船すらも難しかった時代の人からしたら、夢のような話です。
過去生で生きたことのある思い出の地を、その気になれば全部回ることだってできるでしょう。。
だからこそ、この時代生きていて、果敢に旅をしこの地域に奉仕していた彼女とはいえこの山に囲まれた土地から出ることのなかったことから見たら、私が今の時代になってこの地を再訪し、大切に大切にしていた人達の子孫の笑顔が見れたことは、
本当にこの上ない価値のあることだったのです。
こんなに穏やかな顔をした「彼女」を、私はこの時初めて見ました。
もう充分よ、本当にありがとう。と言ってくれたことを、誇らしく思いました。
そして、霊的な自分を隠そうとすることは、彼女ほど精力的に働いた人に対して失礼になってしまうな、とも思いました。
もう、平和になった。みんな幸せに暮らしてる。大丈夫だよと言ったら、
そうよね、そうだわ。もう、大丈夫なのね
と涙ぐんでいました。
それほどまでに地域を、人を、深く思い行動し続けた人が自分の過去でもあったことに、誇りを感じました。
この人に恥じないように生きなくては、と
わたしも気が引き締まりました。
そして、私と彼女に共通した癒しがもたらされました。それは
『もう、自分を責めるのはやめにしましょう』。
ということでした。

これからはもう、ずっと一緒ね。お友達よ。
そんな声が聞こえた気がしました。
そして、彼女は私の中に入りました。
私たちは、一つになったのでした。
帰り道。一匹の犬がずっと着いてきました。

バス停で一緒になったご婦人いわく、この犬はいつもそうしてるらしい(笑)
持ってた余ったパンをあげて、近所の犬にワンワン吠えられてビクビクしつつ私のあとを着いてくる彼と、しばらく一緒に散歩しました。

かわいかったし
この時描こうと思ってた本に必要な犬だったので、まさしく!と思って、モデル料はパンだ!と言いながら写真いろいろ撮っといた(笑)
ありがとよー♪
夜はお気に入りのレストランで最後の食事をしていたら、ウェイターのおじさんと仲良くなり、彼にマケドニア語のアルファベットの書き方を習ったら目からウロコすぎて大興奮し、それを見ておじさんも張り切って(笑)料理を運ぶ合間に私のテーブルに来てはアルファベットを教えてくれました(笑)

ご飯も相変わらずおいしかった。
この国の食べ物は私好みでした。

ケバブもどえらい美味しくてねぇ…。
もうトルコとかに場所的に近いので、どんどん旨くなりますね…
下手にマケドニア語でオーダーしてたので、トッピング聞かれて焦ったのはいい思い出だ…。現地語で質問されても分からんていう。w
はぁ〜、楽しかった!!
そんなわけで、ざっくりですが
こういうちょっと普通行かないような国に行けたおかげでの、現世のわたしとしての収穫も非常に沢山ありました。
バルカン半島の歴史の凄まじさも、来て色々なものを見て、夜Wikiで調べたりして初めて知りました。これほどまでに戦争を繰り返し、ずっと争いの絶えなかった土地だとは、恥ずかしながら本当に知らなくて。過去生の私がここまで心配した理由も、現世的な視点から理解することができました。
ギリシャ正教を初めて見て、立体で聖人を作るんじゃなく絵(イコン)なので、その教会の不思議さにも、現地に行って自分の目で見ることで知ることができて、すごい刺激になりました。
ホテルの人がくれたすごい適当な地図に載っていたミカエル&ガブリエル教会を訪ねて、迷い(笑)、親切な人に助けられてそこを訪れることができたおかげで、正教の修行者の厳しさを知ることもできましたし、
日本との不思議な共通感覚があったことも(これはうまく言葉にならないのですが、正教の教会は何故か「神社っぽいな」と感じました)、面白かったです。
そして、住むにはまだまだ厳しいなと…(´▽`)物価安くて助かるけど。。まだまだ、いろいろなインフラを整備している最中です。マケドニアの魅力をたっぷり楽しめるようになるまで社会が安定するのには、もう四五年かかるでしょう。私が行ったのは、ちょうど混乱期を抜けた直後、といった印象で、まだまだ街中がガンガン工事してたり、アジア人が珍しすぎてとてつもなくガン見されたりと(´▽`)面白い体験でした…。
そして、初見のマケドニア語を、キリル文字を、3日で読めるようになったりと(笑)よく分からない適応性もずいぶん発揮してましたが、それはひとえに同じスラブ言語圏であるチェコ語をやっていたせいです。チェコに来たのも絶対に偶然ではないということの理由の一角も、ここにかいま見ました。
まだまだ何かが自分の内に眠っていて、ひも解かれるのを待っている。そう感じました。
この後しばらくして、チェコにいた時代の自分も少しずつですが、顔を出してくれるようになりました。まだまだ「彼女」のことが私には分かりませんが、どうも12世紀頃のふつ〜の(一見ね。笑)中年女性だったようなんですが、どうも彼女はなかなかミステリアスです。ちょっと不思議。。私がチェコに来た理由の魂的な理由は、いずれ分かるのでしょうか。
この旅は、少女・母親・賢者のうちの「賢者の自分」と向き合うための、一つの大きなきっかけとなりました。
この旅の後、「教える」ということについての力みが減って、力が抜けてきた感じがします。
熱中してもいいのだと気がついた、というようなところもありました。
が、この旅のことを、行く前は「仕上げ」と思っていたのですが
帰ってきてみるとむしろ「始まり」だったのだなと
思ったものです。
行ったら何かが変わるかなと思ったけど、現世の自分が変わるわけじゃなくて、むしろ自分を知る旅の一つとして、これからこういう旅が増えるかもしれない、という予感のようなものを感じました。
そして、自分のたくましさも知れましたし…(笑)
知らない土地で、行っていきなり情報を集めたり、知らない町を歩いて徐々に理解していくことをものすごく楽しいと感じますし、一人旅の方が一つ一つの出会いや出来事の印象が深いという感じもします。
とにかく、この時、行けてよかったです。
この土地のみんなの明るい笑顔はその後もずっと心の中に輝いていて、私を温かな気持ちにさせてくれます。
心から安心した自分を見られて、よかった。