火が怖かった。
火が怖かった。
過去、私の大切な人達を焼いたから。
過去、大切な人達が喧嘩するのが悲しかったから。
火が怖かった。
私の内側で燃え盛っているから。
私の中の火が怖かった。
私の火は強すぎる。
使い方を間違えたらどうしよう。
また大切な人を失ったらどうしよう。
私が誰かの大切な人を、私が悲しんだように悲しませたらどうしよう。
火が怖かった。
怖かった。
どれだけ怖かったかというとつい一ヶ月前、ヨガの先生に私の体質はピッタ(火)だ、と言われた瞬間に恐怖に陥って数日立ち直れなかったぐらい。(ほんとです…)
25歳頃から本格的に自分の力を恐れ始めた。
コントロールを数度微量に間違えただけで、私は恐れた。
と同時に、それが私をスピリチュアルへ向かわせた。
自分の本来持つその力を取り戻さなくては私はこの先生きられないと、大好きだった祖母が死んだ時に悟った。
もがきながらオラクルカードと仲良くなっていくうち、だんだんと大きな重しが取れていった。
最後の仕上げみたいにして、「炎を使いこなせ」という指令が今、来ている。
ピッタ体質と言われてしばらく死んでたのもそのせい。(笑)総仕上げをして、意識の表面まですっかり直す時がきて。
そして多分、私は今、私の中の炎を恐れなくていいところまで来た。
なんでそう思ったかっていうと、ウィークリー引きを今週始めにしたとき、現在の学びのところに伝説の王国カードの「Fire Faery」が出たから。
見た瞬間に、あぁ。と思った。
そして解説を読んで、あぁやっぱり。と思った。
その解説には、火についてネガティブな解説が一切なかった。
それは、私が火のことを、炎のことを、否定しなくてもいいところに来たっていうただの一つの証拠で。
でもその「ただの一枚だけ」が偶然じゃ出ないことを私は知っている。
だから、「あぁ」って思った。
私はもう、これを恐れなくていい。
否定しなくていい。
もう、これにまつわる過去は、全て捨てていい。
私は力の使い方を、きっともう間違えたりしない。慢心は決してしないけれど、でもそれは「一生恐れていろ」という意味じゃない。謙虚と慢心は一致しない。もう慢心はたくさん!あんな孤独なものはもう要らない。
私の炎を怖いと言った人は、過去いくらでもいた。でも、目をキラキラ輝かせて、すてき!と言った人もたくさんいた。
彼らの違いを、私は明確に知っている。
私を恐れた人達は、無力な生き方を信条としている。
私を受け入れ喜んだ人達は、喜びを輝かせてせいいっぱい生きている。
その違いは、あまりにも明らかだった。
だから私は
もう私自身を
恐れなくていいのだと。
頑張らさせていただきます。かしこ。