オラクルカードはっけん日記リターンズ

オラクルカードの使い方や解釈の仕方のヒント、及び筆者の実際のスピリチュアル体験を記録がてら綴っています。

祈る場所と、エネルギー

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ヨーロッパなどに行ったことのある方はご存知だと思いますが、カトリックの教会にはよく、教会正面から真ん中にかけてあるメインの祭壇+説教台とその前に信徒たちが座るベンチが並んでいる他に右側と左側に通路があって、そこに絵画や彫刻が飾ってあるコーナーがあります。

何のコーナーかというと、祈りを捧げる聖人別の祭壇です。

大抵祈りの対象の大きな絵画や壁画、彫刻などが置かれていて、祭壇が形作られています。ときどき、キャンドルなども灯され、そこで祈っている人を見かけることもあります。

私、プロテスタントなもので、カトリックの教会に行ってもあそこの「コーナー」が何のために存在しているのか全然知らなかったんです。そうしましたら先日のモンサンミッシェル訪問の際、「聖ミカエル信仰」という文字が目につき、そういえばそれってどういうことなんだろうと思って、この際なので学芸員のガイドさんに質問してみました。彼の地は大天使ミカエルを祭っているわけですから、当然ながら大天使ミカエルの聖地なわけで、多くのカトリック信者が巡礼の旅にやってきたんです。…が、なんでカトリックって○○信仰ってのがあるんだろうな?と。プロテスタントはそういった分岐した信仰も全て取っ払った宗教革命の産物なもので、ないんですそういうのが。しかしオラクルカードをやってミカエルさんにあれだけ助けてもらってる身としては、ぜひとも知りたい。。

というわけで聞いてみたところ、簡潔に「カトリックの人たちは、自分が好きだなと思う聖人のところへ行って祈るのです。教会の中に必ず、マリアコーナー、キリストコーナー、聖○○コーナーという具合に祭壇が設けてあります。教会に行くと、自分が助けを求めたい聖人や祈りを捧げる聖人をおのおの選んで祈っている姿が見られますよ」と教えていただきました。

で、その後別の教会をプラハで訪れた際、やっとこさ気づいたわけです。

あっこれか、って。。。

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というわけで冒頭のこれは、「マリア様コーナー」です。

他のコーナーはロープが張ってあって開かれていませんでしたが、彼女のところだけ5コルナ(25円ぐらい)払ってキャンドルに火をつけ、祈りを捧げてもよいように開かれており、写真のごとくいくつものキャンドルがともっていました。

マリア様は特に人気があるので、他の祭壇は開かれていなくてもマリア様のところだけは開かれている教会は多いです。

大抵開いてるということもあってか、私はヨーロッパを旅すると何故だかたいてい、どこかの教会のマリア様のところにキャンドルをつけてきます。

つけようと思ってやってるんじゃなく、何故か突然ふと体が動いて、お金をボックスに入れてキャンドルに火をつけてるんです。どの教会でもやってるわけじゃなく、その時に何故か「あ、」ここだ。と思った場所でしかやりません。何故か聖ミカエル教会のマリア様にしてきたこともありました。

その後祈るというか、気持ちをぶわーっと上に向けていくと突然、マリア様の慈愛の圧倒的なエネルギーが体に降りてきます。…といっても、今まではそれが「マリアエネルギー」だとは、正直考えてもみませんでした。単純に、何も考えず、ただただそのエネルギーに包まれていました。涙が出ることもしばしば…というか、毎回必ずいくばくか涙が出ます。文字通り、細胞に染み渡っていくんです。

で今回、ここの教会のマリア様にキャンドルを捧げて、少し離れてじっと祭壇を見上げていたら、また突然、そうなりました。

……で、やっと気がつきました。

「あぁ、ここは、マリアエネルギーと繋がることができる場所なのか…」と。

それと、エネルギーヒーリングの講座を二つ受けた後の今だからこそ、そのことについてやっとはっきり分かったというのもあります。

それは、こうしてマリア様の祭壇にキャンドルを灯して気持ちを上げていった時に降りてくるエネルギーが、毎回必ず同じエネルギーだったと気がついたことです。

言葉にするのは難しいのですが、けっこう質量があってしっかりしており、細胞一つ一つを包み込んでくるような感覚があります。そして全身に降り注ぎ、わりと足元からしっかり固めてきてくれる感じが私はします。足元がグラついてる時は助けてくれてる気がする。

イエスさまだと、もっと粒子が細かいような、圧倒的なんだけど上から来るのではなく斜め上から光の風が降り注ぐような感じで、じゅわーって来て、なおかつ全身がどこまでも包まれている感覚があります。マリアさまとイエスさまに共通してるのは、包み込み力がすごい!ということ。なんだかもう圧倒的なまでに包み込んできます。

だからね、祈れれば必ずエネルギーは降り注がれているのだということ、きちんと自分たちは受け取っているのだということを、私はこの夏に知ることができました。なんか、やっとですが。。

こういった場所で、祭壇で。多くの人が何百年間もずっとずっと、マリアさまに祈りを捧げてきました。そして「マリア様」は確かにここへ降りてこられるのです。もちろん、人はその気になればどんな場所でもマリア様とつながれます。でも、人間は弱い生物。自分にとてもそんな力はないと思う人の方が多いのです。そんな時、この祭壇があるおかげで、どれほどの人がマリアさまに繋がれ、包み込まれ、癒されたことでしょうか!私は、そのことは本当に素晴らしいと思います。人は安易に宗教を批判しがちですが、エネルギーと確かに繋がることができる場所はこうしてちゃんと存在しているのです。それは人間の祈りにパワーがあるということと、エネルギーは確かに存在していて求めれば必ず全ての人に惜しみなく与えられているのだということの証明でもあります。

自分がいつも助けを求めたり、祈ったりしている対象のエネルギーを強く感じたい、確かめたいと思われる方は、こういった場所に出かけてみるのはいかがでしょうか?

日本にも、それぞれの聖人の祭壇が設けてあるかどうかはその教会によると思いますが、カトリックの教会はあります。もしくは、特に祭壇などはなくともプロテスタントの教会でも大丈夫だと思います。殆どの教会は(特にヨーロッパはですが、日本も同じです)、天井を高くとり、神さま(=天)に繋がろうと気持ちをたかく飛ばせるよう、設計されています。必ず「天光」が入るようデザインされています。それは、そうした環境から人間が少しでも神さまを直に感じ、祈りを向け、普段の地べたを這いずり回る自分にとらわれすぎることもなく、また地球に、地面にいられる喜びと恵みを再認識するために、そうした設計がされているのです。

そして信仰というのは、「人間や目に見えるものといった表面的なものに捉われず、自分一人では到底動くはずのない大きな天の原理に身を委ねる気持ちを捧げること」だと私は思います。委ねることのできる人は、強いのです。弱いからこそ、強い。信者じゃなくても、どんな宗教・無宗教の人にも全てに共通する「信じて委ねる」気持ちさえあれば、それこそがほんものの「信仰心」です。信仰を持たなくても、信仰心を持つことは出来ます。そして、信仰心を持つために信仰を持つ必要は全くありません。

教会はそのように考えているので、信徒ではない人達を中に入れない教会なんてどこにもありません。(あったとしたら多分インチキなので、二度と訪れないで下さい。。どんな宗教にも勘違いした亜流派がいます)どんな人でも受け入れますし、無理に理由を聞いたりなども絶対にしません。一人でふらりと訪れ、何時間も座っていた一般の方がいた、という話もよく聞きます。その方が望めば、もちろん牧師さんや神父さんも話を聞いてくださいますが、お礼だけ述べて帰りたい時に帰っていいのです。

こういったものも、自由に活用してくださいね。思った以上に、信仰心の繋がりは懐の深いものなのです。

皆さんも、エネルギーを確かめたくなったらそんな場所を訪れてみるのも、いいかもしれませんね。