ブロックって言葉が、なんかの役に立ったことって、あったかねぇ。

スピリチュアルに傾倒する方の多くが(初期の私も)、ブロックという単語をよく使いますが、私の場合は二年ほど経った頃、「ブロックって言葉には何のメリットもなかったな。アホらしいから使うのやめよう」と思ったんです。

だから私は逆位置のカードも通常無視してます。ブロックの意味を考えたところで殆ど意味をなさない、というのが私の経験(あくまでも、私個人の)なのです。

実は、オラクルカードの解説文をよく見てください。「ブロック」って単語って、殆ど出て来ないんですよ。要するに、まぁそれほど大事な概念じゃないんですね。そこに目を向け続けることは、問題を握りしめ執着を続けてエネルギーを浪費することにしかならないので、そもそも天使が勧めるはずのない概念だなと私は思うのです。

「ブロック」なんていう、大した意味もなく大げさに見せるだけのどうでもいい言葉はもう捨てて、

今からなりたい自分や興味のあることに全力で取り組むべきです。

ほんとうにそうなりたいと願っているのならば、その夢を叶えるために捨てなくてはならない戸惑いや執着を、結局あなたは遅かれ早かれ捨てることになります。

その夢のサポートを、夢を信じる力を天使にサポートしてもらった方が、何十倍も速くそこから抜けられます。

ブロックが!ブロックが!なんて言ってる間は、しょせん「ブロックごっこ」をしてるに過ぎない。冷たい言い方かもしれませんが、私は心からそう思います。その時間がもったいない、って。もっとあなた自身の強い光に対して、目を向ける勇気を持つために、天使にお願いをするべきです。一人でもがく必要はないのです。

エゴも、真実を自分に知らせるための反面教師的意味での優秀なバロメーターの一つにすぎないと私は思います。キライなヤツとかも、それと同じ仕組みですね。

あくまでも、自分がどこに執着してわざわざ苦しみを受けに行ってるかっていうことを知らせてくれるサインでしかないので、かわいい面白い興味深いものでこそあれ、邪魔者でも、切り捨てるべき自分でも何でもありません。そもそも、「自分」の一部を切り捨てることなど、誰にできるでしょうか?何故わざわざ生まれ持った肉体の一部を、肉を外からナイフで削ごうと思う必要があるのでしょうか?

そんなことには意味がないんです。ただ単に、しがみついてる苦しみから手を離せばいいのです。その拳をほどけばいいのです。ただ、それだけ。自分が握りしめてしまっただけなのです。

ちなみにエゴって言葉もそれほど好きではありませんが、それほど嫌いでもありません。

私は「自我」という単語によく置き換えます。たまにエゴって言葉も使います。

言い方は、どっちでもいいかなと思うのです。

エゴくんがあがいてる姿も、かわいいものです。

もがいてる自分のエゴの姿を見ると、なんだか最近愛おしくなってしまいます。

そこに割くほど労力の余裕がないので、すぐさっさと手を離してしまいますが。(笑)

しばらく、じたばたもがく自分を愛おしく眺めることが、増えたような気がします。

まだまだもがいてるんですけど、

なんかね。。ふふって、笑ってしまうのです。かわいくって。

執着の苦しみ、そこから手を離す方法は、本当はいくらでもあります。

でも、気づかないんですよね。分かる気がない間は、誰が何を言ったって駄目でさ。

だけど、いったん本気で離そうと決めれば、天からの協力はいくらでも来ますし、いくらでも方法がありますよ。

本当に人間が目を向けるのが怖いと思ってるのは、無限という事実の方じゃないでしょうかね。