3・11
去年のこの日、金曜日。
私たちはトゥルシーカフェをやっていました。
2/11に第一回をやった時から、次回はこの日と決めていました。
当日はとてもいい天気で、きれいな青空にも関わらず、何故か頭が痛く、トゥルシトゥルシに着いたらお腹まで痛くなってきました。(トゥルシーを飲んだら治ったのですが…)
雨の前の日でもないのに、変だな、と思ったことを覚えています。
この日も昼から夜までずっとご予約が入っていました。
14時のお客さまを送り出し、15時の方を待とうかという頃、揺れが来ました。
横揺れだったので、大きかったし長かったけれど、私は「東京は、大丈夫だったな」と考えました。
その後、二三時間経ち、さすがに今日はお客さまが来られないだろうと思ってテレビをつけて初めて、
地震が直撃したのが東北地方だと知りました。
私は東京生まれ、東京育ちですので、関東大震災の話をいつも聞かされてましたし、地震周期的に見たらもう明日にもこの東京に大震災が来てもおかしくない、と中学生の頃からずっと言われていました。
なので、いつでも「地震が明日、来てもおかしくないんだ」と思って育ちました。
あれから20年近く経とうとしています。
その間、絶対に地震が来ない安全な土地だと言われたよその場所にばかり、大きな地震が起こってきました。
関東には、まだ来ていないのです。
私にはこれが、偶然だとは思えません。
それがどういう事情なのかはわかりません。神さまがどうお考えになって、今まだ関東に地震が起こっていないのか。それは分かりません。
ですが、東北大地震が起きて私がとっさに考えたのは「あぁ、こっちに来るはずだったものが、あちらへ行ってしまった」
そういう、よく分からない考えでした。
すぐ隣の地に、ここに起こるはずだったことがそっくりそのまま起こった……そんな感覚です。
実際にすぐ隣の地で、あのような被害が起こり、私が今に至るまでじゃあ何か出来てるのかというと、多分ほぼ何もできていません。定期的な募金を自分なりに続けるぐらいしかしていません。
でも、最初に書いた通り、わたしは14歳の時から「明日、地震が来てもおかしくない。そうしたら私はどうするのだろう?」と考え続けて生きてきました。
答えはいつも、同じです。
「今やりたいことをやらなくては、私は絶対に後悔する」。
それ以外の答えはいつも存在しないんです。
もし今この瞬間瞬間を、全力を尽くして自分の夢に向かって一歩一歩できることを着実に行っていれば(体をいたわることや、心の整理も全て含めて)、私はもし明日にでも絵が描けなくなったとしても、耐え抜く自信があります。もし死ぬまで一枚も書けなかったとしても、明日にでもまた描けるんじゃないか、こうすればいいんじゃないかと考えます。例え砂に水で描いたって別にいいんです。消えたって何も構わない。私にしてみれば、「描く」ことならば、水を使っても土を使っても、ガラスについた水滴ですら、画材です。
私は後悔しない。私は描けさえすれば生きていける。
私はそうやって生きてきました。
そして、そんな私にでも、食べるものや住む場所が与えられました。神さまが与えてくださったのでないのならば、私はとっくに野垂れ死んでいるに違いないのです。
それは、それ以外のことをやっても何一つ上手くいかなかったからでもあります。つまり、私は夢を妥協することに全身全霊で拒否反応を起こす人間なのです。だから出来なかっただけで、本当は妥協したり甘えたり先延ばしにしたり、お金がないことを口実にしたりしても、よかった気がします。今となっては分かりませんが。
でも、私の心にずっとあったこと。それは
「いつ地震が来て、家も画材も今まで描いたものも、全部消えてもおかしくないんだ。
それでも後悔しないか?」
答えはもちろん、
それでもやる。それ以外やっても意味がない。
それだけです。
だから、私は
大地震後も変わらなかった。
自分の目的を追求した。
命が喜びであること以外、私の視界には相変わらず入らなかった。
それをちゃんと具体化して形にして、楽しんでもらえるものにしていくにはどうしたらよいか?
一心にそこへ向かって突き進んで、やっと
自分に足りないものが全て学べる環境を発見しました。
それは奇跡のように思えました─しかし実際、「奇跡とは何か」「それは人知に対する暗黙の風刺であり、人間に対する叱責である」(エドワード・ヤング『Night Thoughts』)─であることを考えると、自分自身への盲目さが突然開かれたに過ぎなかったのですが。
私は進み続けています。
これからもそうしていかなければなりません。
犠牲者の方、破壊された生活、復興の困難は、もちろん苦しい道のりです。
ですが、私は昔も今も、変わらず自分の目的を追求しなくてはならない身なのです。
ボランティアをやる金銭的時間的体力的余裕もない。自分で精一杯です。それは情けないことなのかも知れません。ですが、私は後悔していません。私は自分を買いかぶったりできないのです。私は、このままなのです。
困難をあえて選び、その中で明るく生きることを選ぶ方もいらっしゃれば、その地を去り心を癒して、少しずつ前に進むことを選ぶ方もいらっしゃるでしょう。どうにも決めようがないまま何年も過ぎて行く方だっていらっしゃるはずです。それは、その方の選択です。私にできる仕事は、ごく限られています。そういう方も含め、全ての方の心のもの、精神的なもののために、何かをすることです。
それは絵かもしれません。カードかもしれません。いずれにせよ、私の専門領域は、そして私が唯一生まれて人の役に立てるかもしれない領域は、精神の分野、命の美しさを目に見える形にすること、なのです。
私はこれからも精一杯精進します。
そして、いつか、誰かの心に寄り添える作品を作らなくてはならない。
私は、そう思います。
今日もまた救われた命に感謝して
これからも、続けていきます。
Yukiko 03.11.2012