才能っていうのは、責任だっていうこと。
今、一個だけね
なんかどうしても書いておきたいことがある。
それは、今月を通して、リーディングすることを通して…
「才能っていうのは、責任なんじゃないだろうか」と思ったの。
その人の責任の生まれながらに備わっている、そして外の世界にそれをきちんと表す義務のある能力のことを、才能 と言うんじゃないだろうか、って。
持っているならば当然、全て、最大限に世の中に現されるべき責任を、我々は生まれる前に自ら選び、自ら背負って生まれてきた。自分の魂の学びという、目的を果たすために、最善のプログラムを、神との共同作業で私たちは選んで、決めて、そして入れ物という名の条件を決めて、一番学べる場所と条件の下に、生まれてきた。
だから、自分が何をすべきかみんな分かってるんじゃないだろうか。って。
できるからやるんじゃない。
やるって決めたから、やるんだろ。
ていうこと。
だとしたら、才能=タダで持って生まれたおトク物でもなく、生涯背負う重荷でもなく、ぽっかりと空いた欠落の穴でもなく、
「この方法を通して、私は自分と世界のためにしっかりと生きる、と契約した方法のこと」
なんだと思う。
だからこそ、その道に精進し、磨きをかけることはその人の責任でもあり、世界と喜びを分かち合える方法でもある。
全責任が、自分の肩に生じるし、だからこそ生き甲斐がある!それをやらなきゃ意味がない。
そして、だららこそ、全なるもの と繋がっていけるのではないか、と。
そう思う。
才能がタダで貰ったものだなんて、ウソだ。
自分で選んだんだ。忘れてるだけだろ。
磨かないで怠惰に逃げ腰で暮らせば、腐って死んでくだけだ。
大体才能があるからって、誰かより優れてるわけでも、劣ってるわけでもない。
才覚も能力も、誰かにだけ余剰に与えられたものじゃない。だって、誰にでもそれは全部違う形をとって与えられているんだから。
自分の宝を人に分ければ、自分の宝はもっともっと光り輝く。
だから、表に出さなきゃいけない。
人に示さなくちゃいけない。
宝を、自分のうちにしまっておこうとする人間は、
何も変われないよ。
勇気を持とう。外に出そう。
「これが私が全責任を負っている、宝よ!」と
世界中の人間に宣言しよう。
俺らの人生
そっからだろ。